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進駐軍と性(しんちゅうぐんとせい)とは、1945 年(昭和 20 年)8 月の日本の降伏から 1952 年(昭和 27 年)4 月のサンフランシスコ平和条約発効に至るまでの連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers, GHQ/SCAP)による占領期において、進駐した連合国軍兵士――その大部分を米軍(United States Forces)が占めた――と日本社会との接触を媒介として展開した性風俗・性病行政・出版検閲・混血児問題等の歴史的事象を総称する概念である。本項は、占領下に設置された特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association, RAA)を起点として、街娼「パンパン」、基地周辺の性産業、性病(venereal disease, VD)の蔓延と公衆衛生政策、占領軍兵士と日本人女性のあいだに生まれた混血児(occupation babies)の社会問題、ならびに GHQ による出版・映像メディア検閲が性表現に与えた影響を、ジェンダー史・国際関係史・公衆衛生史の交差領域として概観する。

概要

連合国軍の進駐は 1945 年 8 月 28 日の先遣隊到着、9 月 2 日のミズーリ号上での降伏文書調印を経て本格化した。本土に上陸した兵員数はピーク時に約 43 万人(1945 年末時点)を数えたとされ、東京・横浜・横須賀・佐世保・呉などを中心に駐留拠点が形成された要出典。占領は当初の懲罰的占領構想から間接統治へと推移したが、性をめぐる事象に関しては、日本政府の側が占領軍兵士の性的行動を「制御」する目的で能動的に施設を設けたという特異性をもつ。これは戦時中の慰安所制度の論理的延長として、日本側官僚機構が「一般婦女子」を保護するために特定の女性を「防波堤」として供する発想に立脚していた点で、戦後の出発点における重大な人権侵害と評価される。

用語と語源

「進駐軍」は、占領軍(occupation forces)の日本側呼称である。降伏文書調印に先立つ 1945 年 8 月 17 日、東久邇宮稔彦内閣は連合国軍の到来を「進駐」と表現する方針を決定し、報道統制下でこの語が定着した。法的には占領軍であったが、「進駐」という語は被占領という事実を緩和する婉曲表現として機能した側面があると指摘される要出典

「パンパン」(pan-pan girls)は、占領軍兵士を相手とする街娼を指す俗語で、語源は南洋諸島の現地語に由来するとも、擬音語に由来するともされ定説をみない要出典。「特定の兵士のみを相手とする」者を「オンリー」(only)、不特定多数を相手とする者を「バタフライ」と区別する語彙も生まれた。

特殊慰安施設協会(RAA)

設立の経緯

1945 年 8 月 18 日、降伏文書調印を待たず内務省警保局長橋本政実は、各府県警察部長に対し「外国軍駐屯地ニ於ケル慰安施設設置ニ関スル件」と題する無電指令を発し、占領軍兵士向けの「性的慰安施設・飲食施設・娯楽場」を整備するよう指示した。これを受け 8 月 23 日、警視庁の主導により東京の業者団体が結集し、8 月 28 日には特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association, RAA)が設立された。RAA は皇居前広場で「新日本女性に告ぐ」と銘打った募集広告を掲示し、女性事務員の名目で女性を集めたとされるが、実態は占領軍兵士を対象とする性的サービス従事者の確保であった。

規模と構造

RAA は東京・大森海岸の小町園を皮切りに、横浜・横須賀・呉など各地に施設を展開した。最盛期には 5 万人規模の女性が組織下にあったとも伝えられるが要出典、実数については研究者間で議論がある。経営は民間業者が担い、内務省と警視庁が後援する官民協同体制をとった。利用料金は当初 15 円程度、その後 50–100 円へと変動し、料金の一部は協会が徴収する仕組みであった。

閉鎖

RAA の運営は、性病の蔓延を最大の理由として 1946 年 3 月 25 日に GHQ 公衆衛生福祉局(Public Health and Welfare Section, PHW)の命令により公娼制度の廃止指令(SCAPIN-642、1946 年 1 月 21 日)と並行して停止された。GHQ の命令は表向き「民主化」を理由としたが、実態としては米兵の性病罹患率が深刻な水準に達し、軍の戦闘力維持上看過できなかったことが直接の動機であったとされる。RAA 閉鎖後、所属していた女性の多くは街娼へと転じ、結果的に「パンパン」の急増を招いた。

街娼「パンパン」

公娼制度廃止と RAA 閉鎖の後、占領軍兵士を相手とする売春は規制空間を失い、街頭・公園・宿泊施設周辺で行われる街娼形態へと拡散した。東京の有楽町・新橋・上野、横浜の伊勢佐木町、横須賀の本町などが集積地として知られた。1947 年(昭和 22 年)時点で全国の街娼数は 4 万人から 7 万人と推計され要出典、彼女たちの存在は戦後の都市風俗を象徴するものとして、メディア・文学・映画に頻繁に描かれた。坂安吾「堕落論」(1946 年)、田村泰次郎「肉体の門」(1947 年)などの戦後文学はパンパンを敗戦下の生の露呈として表象したが、当事者の生活実態は経済的困窮・暴力被害・性病罹患・スティグマの複合的な抑圧下にあった。当事者を「敗戦の象徴」「堕落」として表象する言説そのものが、女性個人を社会的に二重に排除する構造をもったことは、近年のジェンダー史研究が一貫して指摘するところである。

基地周辺の性産業

サンフランシスコ平和条約発効と日米安全保障条約締結(1951 年)により占領は形式的に終結したが、米軍基地は日本各地に残置された。横須賀・佐世保・岩国・沖縄・三沢などの基地周辺では、占領期から連続する形で「Aサイン」(米軍認証施設)制度を中核とする性産業地区が形成された。沖縄では 1972 年(昭和 47 年)の本土復帰までこの構造が継続し、本土復帰後も基地経済への依存と性風俗業の集積は地域社会の主要な争点として残った。これらは占領期の性風俗が単なる過渡的現象ではなく、戦後日米関係の構造に組み込まれた長期的事象であったことを示す。

性病の蔓延と公衆衛生

占領軍兵士の性病罹患率は、占領初期には最大で千人当たり 200 人を超えたとされる時期があり、米軍の戦力維持にとって深刻な問題となった要出典。GHQ/PHW は 1946 年に性病予防法(同年 11 月 11 日制定)を促し、性病の届出・強制検診・治療を規定した。街娼に対しては「狩り込み」と呼ばれる一斉検挙と強制検診が実施され、性病が確認された者は収容施設に隔離された。この強制検診の対象は事実上女性に限定され、男性兵士側の予防は軍内部で別個に管理されたため、罹患の責任が女性側に偏って帰せられる構造が制度化された。ペニシリンの普及と検診体制の整備により罹患率は 1948 年以降低下したが、強制検診をめぐる人権侵害は後年の判例・研究で繰り返し問題視されることになった。

混血児問題

占領期に占領軍兵士と日本人女性のあいだに生まれた子どもは「混血児」「occupation babies」「GIベビー」などと呼ばれた。出生数の正確な把握は困難であるが、推計値としては 2 万人から 5 万人の幅で議論される要出典。父親が帰国・転属した後に養育を放棄される事例が多く、母子家庭での養育、養護施設への入所、海外養子縁組などの経路がとられた。澤田美喜が 1948 年に大磯に開設した「エリザベス・サンダース・ホーム」は、混血児養育施設の先駆として知られる。混血児は学校教育・就職・結婚において差別の対象となり、1960 年代以降の人権問題として再浮上した。背景には米国側の軍法上の婚姻制限(1947 年の軍人婚姻法による日本人女性との結婚規制)、日本国籍法の父系優先規定、社会的偏見という複合要因があった。

GHQ 検閲と性表現

検閲機構

GHQ は民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment, CCD)を設置し、新聞・雑誌・書籍・映画・放送・私信に至る広範な検閲を実施した。検閲は事前検閲(プレ・センサーシップ)から事後検閲(ポスト・センサーシップ)へと段階的に移行し、1949 年に正式に廃止された。江藤淳は『閉された言語空間』(1989 年)においてこの検閲が戦後言語空間を構造的に規定したと論じ、その評価をめぐる論争が続いている。

性表現への影響

性表現に関する検閲は、表向き「占領軍兵士の威信」と「公序良俗」を基準としたが、運用は錯綜した。占領軍兵士と日本人女性の交際を描いた作品は厳しく制限される一方で、戦時中に抑圧されていた接吻・性愛表現は、占領初期に「民主化」の象徴として一定の解禁が進んだ。1946 年の松竹映画『はたちの青春』(佐々木康監督)は日本映画史上初めて接吻場面を公然と描いた作品とされる。「カストリ雑誌」と総称される粗悪用紙の娯楽雑誌群が乱立したのもこの時期で、エロ・グロ・ナンセンスを志向する戦後大衆文化の出発点となった(詳細はカストリ)。

評価と歴史的位置づけ

進駐軍と性をめぐる事象は、戦時中の慰安所制度との連続と断絶、戦後民主化の表層と裏面、日米関係の非対称性、ジェンダー秩序の再編成という複数の軸が交錯する歴史的結節点として位置づけられる。RAA の設置は、戦時下の国家による性の動員という発想が敗戦直後にも温存されていたことを示し、その閉鎖と街娼化の連鎖は、公娼制度から売春防止法制定(1956 年)に至る公娼制度解体過程の一断面をなす。同時に、占領期の経験は基地問題・在日米軍駐留協定(SOFA)・性暴力被害の救済枠組みなど、現代まで継続する論点を残した。歴史記述において重要なのは、当事者となった女性たちを「象徴」や「逸脱」として表象する従来の枠組みを離れ、彼女たちが置かれた経済的・制度的・身体的な強制の構造を直視する視座である。

関連項目

  • 戦後の性文化 — 占領期から AV 新法までを含む戦後性風俗の通史的概念
  • カストリ — 占領期に乱立した粗悪用紙のエロ・グロ・ナンセンス雑誌群
  • 公娼制度 — 1946 年 GHQ 指令で廃止される近代日本の公認売春制度
  • 売春防止法 — 1956 年制定。占領期街娼問題を立法的に処理した法律

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参考文献

  1. 加藤政洋 『敗戦と赤線――国策売春の時代』 光文社新書 (2009)
  2. Dower, John W. 『Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II』 W. W. Norton (1999)
  3. 藤野豊 『性の国家管理――買売春の近現代史』 不二出版 (2001)
  4. 恵泉女学園大学平和文化研究所 編 『占領と性――政策・実態・表象』 インパクト出版会 (2007)
  5. 江藤淳 『閉された言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』 文藝春秋 (1989)
  6. ロバート・ホワイティング 『東京アンダーワールド』 角川書店 (2000)
  7. 竹前栄治・中村隆英 監修 『GHQ日本占領史』 日本図書センター (1996)

別名

  • 占領期性風俗
  • RAA
  • 特殊慰安施設協会
  • pan-pan girls
  • Recreation and Amusement Association
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