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東京都内の老女性が、自身の生殖能力を医師の手で奪われていたことを知ったのは、半世紀以上が過ぎた 1990 年代だった。「身体検査」と称して呼び出され、麻酔をかけられ、卵管を結紮された 16 歳のあの日。彼女は何の医療行為が行われたのか説明されず、退院後も誰からも告げられないまま、結婚し子を産めない生涯を送った。優生保護法の名のもとで、こうした手術が約 2 万 5 千人に対して行われた。当事者の多くが 70 代・80 代になってようやく国家の罪を問い始めた、戦後日本最大級の人権侵害事件である。

優生保護法と強制不妊手術(ゆうせいほごほうときょうせいふにんしゅじゅつ)とは、1948 年から 1996 年まで日本に存在した優生保護法(昭和 23 年法律第 156 号)に基づき、障害者・精神疾患者・ハンセン病患者らに対して行われた強制的な不妊手術と、それを正当化した法制度の総体を指す。本項では立法経緯、規定内容、実態、1996 年の母体保護法改正、2019 年の救済法、2024 年の最高裁違憲判決を扱う。

立法経緯

優生保護法の起源は、1940 年(昭和 15 年)制定の「国民優生法」に遡る。同法はナチス・ドイツの「遺伝病子孫予防法」(1933)を範に取り、遺伝性疾患・精神疾患を持つとされる者に対する不妊手術を制度化した戦時立法だった。ただし戦時中の国民優生法による手術件数は数百件にとどまった。

戦後、国民優生法は GHQ の指示で改廃が検討されたが、戦後の食糧不足・人問題への対応として「人口政策」の文脈で再立法された。1948 年 6 月成立の「優生保護法」(昭和 23 年法律第 156 号)は、(1) 優生思想に基づく強制不妊手術、(2) 経済的理由による人工妊娠中絶の合法化、(3) 母性保護のための避妊指導、を三本柱とする立法だった。

特に第 4 条「優生手術」、第 12 条「精神病等の場合の優生手術」、第 13 条「ハンセン病患者の場合の優生手術」は、本人の同意を必要としない強制的不妊手術を法的に正当化する規定だった。本人が遺伝性疾患・精神疾患・ハンセン病を持つと判定された場合、都道府県の優生保護審査会の決定により、本人の意思に反して手術を行うことが許容された。

強制不妊手術の実態

1949 年から 1996 年までの 47 年間、優生保護法に基づく強制不妊手術は約 1 万 6,500 件、本人同意のある手術と合わせて約 2 万 5,000 件が実施されたと厚生労働省は推計している要出典。被害者は知的障害者・精神障害者・聴覚障害者・身体障害者・ハンセン病患者など多岐にわたり、女性が約 7 割を占めた。

手術の実態は、(1) 入所施設・病院・特殊学校等での集団的執行、(2) 「身体検査」「健康診断」など虚偽の説明による誘導、(3) 麻酔をかけた状態での同意のない執行、(4) 手術の趣旨を本人・家族に告げない隠蔽的執行、などが多数報告されている。施行直後の 1950 年代には、宮城県・北海道などで年間千件超の手術が実施され、地域差・時代差を伴う偏在的執行の様相を示した。

被害者の証言は、1980 年代の女性運動・障害者運動の中で断片的に表面化したが、社会的注目を集めるには至らなかった。1990 年代後半以降、優生保護法廃止運動の高まりとともに、被害者の語りが徐々に公開されるようになった。

1996 年改正 - 母体保護法へ

1980 年代以降の障害者運動・女性運動は、優生保護法の優生思想条項の削除を継続的に要求した。1995 年の北京世界女性会議、1996 年のリオ宣言など国際的人権規範の蓄積も背景となり、1996 年 6 月、優生保護法は「母体保護法」へと全面改正された(平成 8 年法律第 105 号)。優生条項は全て削除され、人工妊娠中絶・不妊手術はあくまで本人の意思に基づく医療として位置づけ直された。

しかし改正は法令の文言を改めるにとどまり、過去の被害者への謝罪・補償には踏み込まなかった。被害当事者の高齢化と国家責任問題化は、その後 20 年以上にわたって遅延された。

2019 年救済法

2018 年 1 月、宮城県の被害者女性が、強制不妊手術により損害を受けたとして国家賠償請求訴訟を提起した。これを契機に、各地で被害者の集団訴訟が次々と起こされ、社会的関心が急速に高まった。

2019 年 4 月、超党派議員立法として「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」(平成 31 年法律第 14 号)が成立した。同法は本人に一時金 320 万円を支給する救済枠組を定めたが、被害者団体からは「謝罪が不十分」「金額が低すぎる」「除斥期間との関係が不明確」など、立法の限界への批判が継続している。

2024 年最高裁違憲判決

2024 年 7 月 3 日、最高裁判所大法廷は優生保護法の旧第 4 条等を「個人の尊厳と人格権を侵害する憲法 13 条違反」と判断する画期的判決を下した。同判決は、(1) 不妊手術が本人の生殖能力を喪失させる重大な権利侵害であること、(2) 立法目的(優生思想)自体が憲法に反すること、(3) 国家賠償請求権の除斥期間(20 年)を本件に適用することは正義に反すること、を判示した。

最高裁判決を受けて、2024 年 10 月 8 日、新たな補償法「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者等に対する補償金等の支給等に関する法律」 (令和 6 年法律第 70 号) が成立した。同法は手術を受けた本人へ 1,500 万円、 その配偶者へ 500 万円、 人工妊娠中絶を強制された女性へ 200 万円の補償金等の支給を定め、 2024 年 10 月 17 日公布、 3 か月後に施行された。被害者の高齢化は深刻で、2025 年時点で確認できる被害者の多くが 70 代後半から 90 代に達しており、迅速な救済執行が引き続きの課題となっている。

性をめぐる人権規範への影響

優生保護法問題は、戦後日本の性をめぐる法制度の中で、最も深刻な人権侵害の事例として歴史に刻まれた。本件は、性的自己決定権・生殖自由権・身体に対する権利を国家が侵害した戦後日本最大級の事案であり、現代の性教育・性的少数者権利・性犯罪法制の議論に持続的な影響を与え続けている。

国際人権規範(自由権規約、女性差別撤廃条約、障害者権利条約等)との関係でも、優生保護法はたびたび国連からの懸念表明・勧告の対象となり、戦後日本の人権問題の象徴的事案として国際的に認知されている。

関連項目

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参考文献

  1. 『優生保護法』 法律 第156号 (1948)
  2. 『母体保護法』 法律 第156号(改正) (1996)
  3. 毎日新聞取材班 『強制不妊手術:旧優生保護法を問う』 毎日新聞出版 (2019)
  4. 『旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律』 法律 第14号 (2019) https://laws.e-gov.go.jp/law/431AC1000000014
  5. 『最高裁大法廷判決(優生保護法違憲判決)』 最高裁判所 (2024)

別名

  • 優生保護法
  • 強制不妊手術
  • eugenic protection law
  • forced sterilization
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