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午後の喫茶店。隣のテーブルから、テキストの内容と声のトーンが釣り合わない会話が漏れている。「あのシーンの受けの表情が完全に陥落してた」「攻めの目線で読み返すとまた違う」。専門用語めいた言葉が静かに、しかし熱量を伴って交わされる。話し手はごく普通の身なりの女性二人で、外見からはその嗜好も語彙体系も読み取れない。これが 腐女子 の日常風景である。

腐女子(ふじょし、英: fujoshi / rotten girl)とは、男性同士の恋愛・性愛関係を題材とした創作、すなわち BL(やおい)を愛好する女性の自称・他称である。「婦女子(ふじょし)」の「婦」を同音の「腐」字に置き換えた言葉遊びで、「BL に耽溺するあまり頭の中身が腐ってしまった女子」という自虐的ニュアンスを含む。

語源と成立

腐女子の語が活字に現れる最も古い例は、現在確認できる範囲で 1999 年頃の個人ウェブサイト上の言及であるとされる。社会学者の上野千鶴子は、2000 年前後の 2 ちゃんねるの匿名掲示板群、とりわけ少年漫画板・週刊少年ジャンプ板の「もし○○と△△がデキてたら」スレッドあたりから自然発生的に広まったと整理している。やおい愛好者の女性同士が、外野から侮蔑される前に先回りして自虐的に名乗ることで、攻撃の刃を鈍らせる「居直りのレトリック」として機能したという指摘である。

語そのものは新しいが、指し示す現象、すなわち男性同性愛を題材にした女性向け創作の系譜は遥かに古い。1970 年代の少女漫画における竹宮惠子『風と木の詩』、萩尾望都『トーマの心臓』などの「JUNE もの」(雑誌『JUNE』に由来する美少年同性愛もの)を直接の祖とし、1980 年代の「やおい」(山なし・落ちなし・意味なしの自虐的略語)同人誌文化を経て、1990 年代に「BL」という商業ジャンル名が定着するまでの長い前史が控えている。腐女子という名称は、この読者層が自己を客体化して観察する語彙を獲得した、ということを意味している。

内輪用語の体系

腐女子文化のもう一つの特色は、極めて発達した内輪用語の体系である。男性カップルを「CP」と表記し、組み合わせの順序、すなわち能動側を 攻め、受動側を受けと呼び分け、「攻め × 受け」の順で書く流儀が業界内で厳密に共有される。同じキャラクター二人でも順番が逆になれば(「リバ」)、別ジャンルとして扱われ、当該カップリングを掘る読者層も微妙に異なる。一次創作の登場人物に対する「二次創作」として CP を見出す作業は、原作の細部の所作・視線・台詞回しから「実は二人は」を読み解く解釈の営みであり、その精密さと多層性は文芸批評の手つきに近い。

俗語の発達も著しい。「萌え」(対象に対する強い情緒的執着)、「燃料」(原作の新展開で同人活動が活性化する事象)、「逆カプ」(順序の逆を好む派)、「地雷」(絶対に受け付けない要素)、「夢女子」(キャラと自己投影された女性キャラとの恋愛を志向する別系統)など、ジャンル内の細かな差異を識別するための語彙が次々と造られていく。これらの俗語は SNS や pixiv 上で短時間に伝播し、世代ごとに緩やかに更新されていく。

受容心理と社会学的位置

腐女子がなぜ男性同性愛を消費するのか、という問いには複数の説明が並立している。心理学者の山岡重行は、女性読者にとって男性キャラクター二人の関係は、自己投影のリスクから自由な「観察者の位置」を確保できる装置であると分析した。異性愛もの恋愛漫画では「女性主人公=自分」という同一化の圧力が働きやすいのに対し、男性同士であれば、欲望・葛藤・身体性をフラットに眺めながら関係性のドラマだけを抽出して味わえる、という構図である。

社会学者の杉浦由美子は、東池袋(乙女ロード)の腐女子コミュニティをフィールドワークし、彼女たちの消費スタイルが「同人誌即売会」を中心に組み立てられている点に注目した。仕事を持つ大人の女性たちが、休日に同人誌を買い、感想を語り合い、自らも書き手として参加する文化圏は、独立した経済規模と独自の流通網を持つ、自律したサブカルチャーとして成立しているという観察である。

上野千鶴子はより踏み込み、腐女子文化を「ホモソーシャル」(男性同士の同性社会的絆)を女性が再領有する運動として読み解いている。男性社会の中心にある男同士の親密な絆を、女性読者が観察・解釈・改変することで、男性中心主義の構造そのものを脱臼させる効果がある、という主張である。一方で、現実のゲイ男性の表象とは別物として消費されているという批判も繰り返し起きており、当事者性と消費の関係は今も議論の対象である。

商業化と現代

2000 年代後半、腐女子の語は商業メディアにも進出した。雑誌『ダ・ヴィンチ』が 2005 年に「腐女子マンガ大系」特集を組み、漫画『となりの 801 ちゃん』(2006 年、原作: 小島アジコ)が連載開始、ドラマ『フジコフジコ腐女子のつづ井さん』『私がモテてどうすんだ』など、腐女子を主人公にした作品が次々と発表された。アニメ『ヲタクに恋は難しい』(2018 年)では腐女子の主人公が職場で恋愛するという形で、サブカル女子の生活実感が一般層に向けて翻訳された。

商業 BL 市場も急成長を遂げ、出版科学研究所の調査では国内 BL 市場は 2020 年代に入って年間 200 億円規模に達したとされる要出典。中華圏では「腐女」(fǔ nǚ)として輸入され、台湾・香港・大陸で独自の発展を遂げており、英語圏でも fujoshi はそのまま外来語として定着し、欧米の同人即売会では BL 系サークルが独立した一角を形成する。

関連項目

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参考文献

  1. 『腐女子』 Wikipedia 日本語版 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%90%E5%A5%B3%E5%AD%90
  2. 上野千鶴子 『女ぎらい —— ニッポンのミソジニー』 紀伊國屋書店 (2010)
  3. 山岡重行 『腐女子の心理学 彼女たちはなぜ BL(男性同士の恋愛)を好むのか?』 福村出版 (2016)
  4. 杉浦由美子 『腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち』 中央公論新社 (2006)

別名

  • 腐女子
  • ふじょし
  • fujoshi
  • rotten girl
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