神田の古書店、奥の棚。日に焼けた茶色い表紙の薄い冊子が、紐で縛られて積まれている。表紙には筆致の硬い書き文字で「奇譚クラブ」、その下に女性の縛られた絵。発行は昭和二十年代から三十年代。手に取ると紙の繊維がほぐれそうな脆さで、これが日本の戦後 SM 文化の出発点を担った雑誌なのか、と眼を凝らす。
奇譚クラブ(きたんくらぶ)は、1947 年(昭和 22 年)11 月から 1975 年(昭和 50 年)3 月まで、約 28 年にわたって刊行された日本の SM・緊縛・フェティシズム 専門の読者投稿雑誌である。戦後の性風俗誌としては最長の刊行歴を持ち、日本独自の SM 文化、とりわけ縄縛り(緊縛)の理論的体系化を牽引した。
創刊とカストリ誌時代
1947 年 11 月、戦後の混乱期、占領下の東京で創刊された。創刊期の判型は B5、いわゆるカストリ雑誌(粗悪な紙質と扇情的内容で大量流通した戦後の風俗誌)の一群に分類される。同時期の『リーベ』『風俗草紙』『あまとりあ』『裏窓』などと並んで、占領期の検閲下で性的タブーを限定的に扱った「変態風俗誌」の一翼を担った。
創刊号から男娼や妾を扱う記事を掲載しており、男性同性愛にも当初から目配りがあった。1952 年 5・6 月合併号から判型を A5 に縮小、これを境に編集方針がよりシリアスな専門誌へと転換し、SM・サド・マゾヒズム・フェティシズム を主軸に据えた読者投稿型の風俗誌として性格を固めた。
投稿文化と書き手の発掘
奇譚クラブの最大の特徴は、徹底した「読者投稿主体」の編集方針である。読者から寄せられた縛り体験記・告白手記・写真・絵画作品を中核に据え、編集部はそれを取捨選択して掲載する形式を取った。これにより、サドマゾ・縛り愛好者の「自分の趣味を語る場」が初めて日本に成立し、孤立していた愛好家たちが互いの存在を認知する媒体として機能した。
戦後の SM 文化を担った主要な書き手の多くが、奇譚クラブを足場に世に出ている。緊縛理論の体系化者として知られる伊藤晴雨の系譜を継いだ書き手たち、SM 写真家の須磨利之(濡木痴夢男)、緊縛師 としても活躍した辻村隆、後の伝説的縛師の祖型を作った観世峰太郎などの作品が誌面を彩った。風俗史家の村上信彦は「吾妻新」(あづましん)の筆名で奇譚クラブに継続的に寄稿しており、後の研究で同一人物であることが確定している。
緊縛文化の理論的発展
奇譚クラブが日本文化史において果たした最大の功績は、緊縛 を視覚芸術として体系化した点にある。江戸期の捕縛術・縄打ちの伝統と、明治・大正の伊藤晴雨らによる責め絵の系譜を、戦後の写真・実演文化として再編し、「縛りが美である」という独自の美学を確立した。後に 団鬼六、明智伝鬼、濡木痴夢男といった戦後 SM 文化の中心人物たちが、奇譚クラブの読者・寄稿者として頭角を現していった。
『奇譚クラブ』に蓄積された縛り写真・縛り技術の記述は、日本独自の「緊縛」(Shibari)として後に世界に輸出される。21 世紀のロンドン・ベルリン・サンフランシスコで開かれる shibari workshop は、その原型を辿れば、戦後東京のこの雑誌に行き着くと指摘される。
廃刊と影響
奇譚クラブは 1975 年 3 月号をもって廃刊となった。要因として、より過激な誌面を打ち出した『SM サンスポ』『SM セレクト』『S&M スナイパー』などの後発専門誌の登場、出版コードの厳格化、編集陣の高齢化などが指摘されている。しかし、廃刊後も奇譚クラブが残した「読者投稿による愛好者コミュニティ形成」「緊縛の美学の体系化」「SM 文化の文学的・絵画的洗練」というモデルは、後続誌、後の同人誌 文化、現代の SNS 投稿カルチャーまで継承された。
『家畜人ヤプー』(沼正三)の連載媒体としても重要な役割を果たしたほか、団鬼六『花と蛇』の系譜にも影響を与え、戦後 SM 文学の中核的なメディアとして位置づけられている。
古書市場と研究
現在、奇譚クラブのバックナンバーは古書市場で取引されており、創刊期(1947-1952)の B5 判は特に希少価値が高い。総巻数は約 350 号前後とされ、揃いで完全なものは収集家の間で長年の探求の対象となっている。
研究面では、SMpedia による誌面・寄稿者の体系的整理、永井良和・川原東水らによる戦後性風俗誌研究の文脈で、奇譚クラブは「戦後日本のサブカルチャーが、商業性とアンダーグラウンド性の境界線上でどのように成立したか」を示す重要事例として継続的に分析されている。
関連項目
最終更新
参考文献
- 『奇譚クラブ』 Wikipedia 日本語版 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%AD%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
- 『奇譚クラブ』 SMpedia https://smpedia.com/index.php?title=%E5%A5%87%E8%AD%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
- 『カストリ雑誌時代の奇譚クラブ』 SMpedia https://smpedia.com/index.php/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%AD%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
- 『戦後エロ・グロ雑誌史』 青弓社 (2018)
別名
- 奇譚クラブ
- きたんくらぶ
- Kitan Club