カーテンの開いたリビングに、若い女が静かに座っている。微動だにしない。表情は穏やかで、目線は窓の外に向けられているが、瞬きはしない。彼女は人間ではない。シリコンで造形された等身大のドールであり、骨格を持ち、関節が稼働し、肌は触れれば沈み、髪は本物の人毛が植え込まれている。所有者の男はキッチンでコーヒーを淹れている。彼女はそこに居るだけで、男の生活時間に組み込まれている。ラブドール(らぶどーる)とは、人間の身体を等身大で再現した性的用途のドールを指す。シリコンや TPE(熱可塑性エラストマー)などの軟質素材で精緻に造形され、内部に金属骨格・可動関節・性器構造を備える。日本ではオリエント工業を筆頭に高品質化が進み、単なる性具の枠を超えた愛玩・伴侶としての受容も生まれている。
語源と歴史
英語の love doll、日本語の「ラブドール」のいずれも比較的新しい呼称である。それ以前、日本では「ダッチワイフ」(Dutch wife)が一般的呼称だった。この呼称はオランダ商人が東南アジアに駐在する際、籐や竹で編んだ抱きまくらを「妻代わり」に用いた歴史に由来するとされる要出典。第二次大戦後の日本でも、ビニル製の空気注入式人形がこの名で販売され、戦後復興期から1970年代まで「ダッチワイフ=安価な空気人形」のイメージが定着していた。
「ラブドール」という呼称が一般化したのは1990年代以降であり、特に1990年代後半にオリエント工業が高品質シリコン製の等身大ドールを発表したことが転機となった。同社は1977年創業で、当初は障害者向けの性具開発を理念に掲げていたとされる要出典。1990年代後半以降、シリコン素材の高品質化と、メイクや植毛の精緻化により、ダッチワイフ時代とは全く異なるレベルの再現性を持つ製品が登場し、これらを「ラブドール」と呼ぶ用法が定着した。
素材と造形の進歩
初期のダッチワイフは塩化ビニル製の単純な空気注入式で、形状は人間に似ているとは言い難く、機能本位のものだった。1990年代以降の素材革命は、医療用シリコンの応用とアートトイ造形技術の流入により、人体の質感・重量感・関節可動域の再現を可能にした。
現代の高品質ラブドールは、内部に金属の骨格を持ち、人間とほぼ同じ可動域で関節が動かせる。外装は軟質シリコンまたは TPE で、皮膚の質感は人肌に近接する。重量は身長や体型にもよるが、25〜40 キログラムに達し、運搬・着替え・撮影には相応の体力を要する。顔の造形は、原型師の彫塑技術と、メイクアップアーティストの絵付け技術が組み合わされ、数百万円台の製品では人間と見分けがつかないレベルにまで達している要出典。眼球・睫毛・歯並びの細部に至るまで、精密な仕上げが施される。
国内ではオリエント工業、Level-D、4woods などのメーカーが知られる。海外では米国の Realbotix(旧 RealDoll)社が高級ドール市場を牽引し、近年は中国・ロシアのメーカーも市場参入が顕著である。価格帯は最低クラスで30万円前後、最高クラスでは150〜200万円超に達する。
用途の多様化
ラブドールの用途は、開発当初の性的用途から徐々に拡大してきた。現代では大きく三つの用途が並存している。
第一に性的用途。これは引き続き市場の中核を占める。性的な開放空間を持たない単身者、特定の体型や顔立ちへの強い嗜好を持つ層、人間関係の負担を回避したい層などが主要購買者層とされる。
第二に伴侶・愛玩用途。性的用途を否定はしないが、それ以上に「同居の相手」「話しかける対象」「写真や着替えを楽しむ対象」としてドールを所有する層が、近年急速に増加している。SNS には「ドール家族」のアカウントが多数存在し、所有者がドールに服を着せ、外出先で撮影し、生活の一部として共に過ごす様子を投稿している。
第三にアート・フィギュア用途。原型師・メイクアーティスト・写真家が、表現対象としてドールを扱う動きである。アラーキー(荒木経惟)などの著名写真家がドールを被写体とした作品を発表し、現代美術の文脈での評価も生まれている要出典。
社会的受容と論争
ラブドールをめぐる社会的言説には、複数の論点がある。
肯定的な論点として、性的健康の選択肢の多様化、孤独死問題への一つの応答、人間関係の負荷からの解放などが挙げられる。性産業や生身の人間関係に伴うリスクを取らずに性的・情緒的欲求を一定程度満たせる存在として、ラブドールは積極的な意味づけを与えられている。
批判的な論点として、女性の物体化、人間の代替としての非倫理性、特に未成年の身体を模した造形物に関する法的・倫理的問題などが議論されている。日本では2010年代以降、児童を模した小型ドールに関して税関での輸入差し止めや、公序良俗の観点からの批判が継続的に発生している要出典。これに対し、メーカー各社は児童ポルノ規制を回避する設計指針を強化する動きが見られる。
創作・メディアにおける受容
ラブドールはエロ作品中の登場人物としても定着している。エロ漫画・エロゲー・AV では、「ラブドールを所有する男性」「ドールが意識を持つ展開」「ドールに改造される女性」など、ラブドールをモチーフとしたサブジャンルが成立している。AV では、女優がドールに扮して動かない演技をする「ラブドールもの」のシリーズが複数のメーカーから出ている要出典。映画やテレビドキュメンタリーでも、ラブドール所有者の生活を取り上げる作品が定期的に制作され、社会現象としての関心の高さを反映している。
関連項目
最終更新
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参考文献
- 『ラブドール、最高の伴侶』 二見書房 (2017)
- 『オリエント工業40周年記念図録』 オリエント工業 (2017)
- 『Sex Robots: The Future of Desire』 Bloomsbury (2018)
別名
- 等身大ドール
- ダッチワイフ
- sex doll
- love doll