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夕暮れの深川、永代橋を渡れば、辰巳芸者が三味線を抱えて行き交う花街がある。吉原のような大門も塀もなく、町屋の路地裏に料理茶屋を装った小さな見世が並ぶ。客は職人や中堅商人が多く、料金は吉原の十分の一にも満たない。粋で気っ風がよく、男装めいた羽織姿の芸者とを並べて飲む座敷の空気は、吉原の格式とは別種の艶を持っていた。江戸庶民が日常の延長で性と遊興にふれる場所、それが岡場所だった。

岡場所(おかばしょ)とは、江戸時代に江戸市中で、幕府公認の遊である吉原以外で営業した非公認の売春地帯の総称である。「岡」は「傍ら」「外」の意で、「公認外の場所」を意味する。深川・根津・品川・新宿・板橋・千住など、江戸の周縁部に多数の岡場所が形成され、町人層を主たる客とする庶民的な性風俗の中核を担った。

成立

岡場所の成立は、17 世紀後半から 18 世紀前半にかけてである。1657 年(明暦 3 年)の大火後、吉原が浅草日本堤に移転して新吉原となったが、江戸の人拡大に対し新吉原の規模は十分ではなかった。料金が高く格式張った吉原に通えない町人層・職人層の需要を吸収する形で、市中の盛り場周辺に小規模の私娼街が自然発生的に形成されていった。

幕府は名目上「江戸の遊廓は吉原一所」とする公娼独占体制を取ったが、実態として市中に蔓延する岡場所を完全に取り締まることは困難だった。八代将軍徳川吉宗の享保改革(1716 年以降)から十二代家慶の天保改革(1841 年)まで、繰り返し摘発と縮小が試みられたが、需要と供給の双方が再燃し、岡場所は江戸時代を通じて存続した。

主要な岡場所

深川(門前仲町・佃町)

深川は岡場所の代表格で、富岡八幡宮・永代寺の門前町を中心に発達した。営業形態は「茶屋」「料理茶屋」を装い、芸者と娼妓を兼ねる「辰巳芸者」(深川の方角が江戸城から辰巳すなわち東南にあたることから)と呼ばれる女性たちが活躍した。

辰巳芸者は素足に羽織を引っ掛けた粋な装いで知られ、吉原花魁の絢爛とは対照的な「いき」の美学を体現した。九鬼周造『「いき」の構造』(1930 年)は、この深川芸者の振る舞いを近代日本の美意識のひとつの典型として位置づけた。

根津(根津神社門前)

根津は本郷台地の北麓、根津神社門前に展開した岡場所である。学問所昌平坂学問所・湯島聖堂が近く、武家・学者・書生が客の中核を占めた。明治期に入っても遊廓として継続し、1888 年(明治 21 年)に新吉原の補完地として移転を命じられて洲崎弁天町(後の洲崎遊郭)へ移った。

品川・新宿・板橋・千住

江戸四宿(品川・内藤新宿・板橋・千住)は、街道の宿場として「飯盛女」と呼ばれる宿場娼婦を抱えた。「飯盛女」は名目上は宿の女中だが、実質的に売春に従事した女性で、江戸時代を通じて公然の存在として機能した。一宿あたりの飯盛女数は幕府が制限を設けたが、実態は規定数を大幅に超えていた。

品川は東海道の起点として最大規模を誇り、最盛期には飯盛女 1,000 人を超えたとされる。本陣・脇本陣の格式と岡場所的盛り場が同居する独特の空間を形成した。

客層と料金

岡場所の客は、職人・中堅商人・武家奉公人など、吉原の格式と料金に手の届かない江戸庶民層が中心だった。料金は吉原の格上の花魁が一夜に金一両前後を要したのに対し、岡場所では銀数匁(現代換算で数千円から 1 万円程度)で済んだ。

時間制の「ちょんの間」、芸者を伴う宴席、長期の馴染み客との関係など、客の懐具合に応じて多様な利用形態が用意された。仕事帰りの職人が一献を傾けつつ女と語らう、その日常性こそが岡場所の真骨頂だった。

取締りと摘発

幕府は岡場所を断続的に摘発した。1842 年(天保 13 年)の天保改革では、老中水野忠邦の主導で岡場所の大規模摘発が行われ、深川の岡場所は一時的に壊滅状態となった。摘発された娼妓は吉原に強制移送され、抱主は処罰された。

しかし摘発後も需要は消えず、改革の頓挫(1843 年)とともに岡場所は復活した。維新までの 20 年余り、岡場所は再び江戸の盛り場として機能し続けた。

明治以降

1872 年(明治 5 年)の娼妓解放令以降、岡場所の多くは正規の貸座敷指定地として再編されるか、廃業に追い込まれた。深川は震災復興期を経て大正期に再度の規模縮小、戦災で消滅した。根津は洲崎へ吸収され、品川は赤線地帯として戦後まで存続した後、1958 年の売春防止法施行で完全に終焉した。

岡場所は江戸の都市文化が産み落とした庶民的な性愛空間であり、吉原という公認遊廓と対をなす「裏」の文化として、江戸風俗の半身を担った。

関連項目

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参考文献

  1. 渡辺憲司 『江戸の遊廓』 新潮社 (1994)
  2. 永井義男 『江戸の岡場所』 朝日新聞出版 (2014)
  3. 喜田川守貞 『近世風俗志(守貞謾稿)』 (1837-1853)
  4. 石川英輔 『江戸の女』 講談社 (1996)

別名

  • 岡場所
  • 私娼窟
  • 江戸の私娼
  • Okabasho
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