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江戸の浮世絵に描かれた人妻 は、笑うと黒く塗られたがのぞいた。現代の感覚では奇妙に映るその習俗が、1000 年以上にわたって日本の女性たち(時に男性たちも)の身体装飾の中心にあった。「既婚女性の表象」「成熟の徴」「歯の保護」が一体となった、複合的な意味を持つ化粧の様式が、お歯黒である。

お歯黒(おはぐろ、漢字表記「鉄漿」)とは、酢に鉄屑を浸して作った酸化鉄液(かね、鉄漿水)に、五倍子(ふし)などのタンニン含有植物粉を組み合わせて、歯を黒く染める日本の伝統的化粧習俗の呼称である。本項では奈良・平安期の貴族男女における儀礼、中世以降の既婚女性 の標識化、江戸期の庶民への拡大、明治の禁止令と断絶までを扱う。

概要

お歯黒は、染色対象の歯のエナメル質表面に黒い被膜を形成する化粧法で、塗り直しが必要なため数日ごとに繰り返し施す必要があった。歯を黒く染めることで、(1) 既婚・成人の徴表、(2) 美的対象としての黒の強調、(3) 歯科衛生上の保護効果(タンニンと鉄が虫歯を抑制する作用)、を兼ねた複合的な意味を持つ習俗だった。

「鉄漿」「鉄漿付け」とも呼ばれ、上方では「かねつけ」とも称される。江戸期には町人の既婚女性 の標識として標準化したが、宮中・花柳界 ・武家社会では別個の用法が並行した。

古代・中世

お歯黒の起源は古代に遡るとされ、奈良時代の遺跡からお歯黒の痕跡を残す人骨が出土している。平安期には貴族の男女双方が成人儀礼の一環として歯を黒く染めた記録があり、紫式部『源氏物語』にも貴族女性のお歯黒の描写がある。

平安末から鎌倉期にかけて、貴族男性のお歯黒は徐々に廃れ、女性のものとして残った。武家社会では一時期男性のお歯黒も復活したが、戦国期にかけて再び廃れた。

江戸期の制度化

江戸時代になると、お歯黒は既婚女性 の標識として制度化された。「歯黒」と「眉剃り」を組み合わせた化粧が、結婚後・第一子出産後の既婚女性の身体表象として定型化し、町人・農民階層にまで広く普及した。

遊女芸者 も独自の文脈でお歯黒を施した。最上位の花魁 は道中の正装の一部としてお歯黒を付け、客を取る舞台では完成された装飾を見せる慣行があった。

春画 には、お歯黒姿の人妻遊女が描かれた作品が多数残されており、当時のお歯黒姿が性的魅力の標準的構成要素だったことが伺える。

明治の禁止と断絶

1870 年(明治 3 年)、明治政府は華族婦女のお歯黒禁止令を出し、続いて 1873 年に皇太后・皇后の率先による廃止が示された。文明開化の文脈で、「白い歯=西洋的・近代的・健康的」という価値観への転換が政府主導で進められた結果である。

民間ではしばらくの間お歯黒が続いたが、明治末から大正期にかけて急速に廃れた。地方の高齢女性の間では昭和期まで残存したが、現在では能・歌舞伎・時代劇の演出での再現を除いて、実生活でのお歯黒は完全に消滅している。

美意識の変遷

お歯黒が長く続いた背景には、(1) 黒という色を美的に「奥行きと深さ」と結びつける美意識、(2) 歯を見せない「元の閉じた表情」を美徳とする儒教的・仏教的価値観 、(3) 既婚と未婚の身体表象を分ける社会制度、が複合していた。

明治以降、白い歯を笑顔と健康の象徴とする西洋的価値観の浸透により、お歯黒は急速に「古い・不衛生・前近代的」な表象に転換し、断絶した。現代の感覚から見れば奇異な習俗だが、長期にわたる日本の既婚女性 表象の中核を成した文化として、研究対象であり続けている要出典

関連項目

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参考文献

  1. 村田孝子 『日本化粧文化史』 ポーラ文化研究所 (2016)
  2. 原田信男 『お歯黒の研究』 雄山閣 (1990)
  3. 紫式部 『源氏物語』 (1008)
  4. 『明治十年太政官布告(華族婦女のお歯黒禁止)』 日本国法令 (1870)

別名

  • お歯黒
  • 鉄漿
  • 鉄漿付け
  • kanetsuke
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