地方都市の駅前、雑居ビルに「PHILIPPINE PUB」の電飾看板、店内ではタガログ語と日本語が混じる軽口、Y2K 時代のディスコソング、サワーグラスを片手に踊るタイトドレスの女性たち。客は地元の建設業・運送業・農業の中年男性、月一の給料日の楽しみとして週末に繰り出す。会計は一回 8,000 円程度、ボトルキープと指名料、誕生日には日本人客の財布が空になる。これがフィリピンパブの定番的な夜の風景である。
フィリピンパブ(ふぃりぴんぱぶ、略称:ピーパブ)とは、フィリピン人女性ホステスが主体となって接客するパブ業態の総称である。1980 年代から興行ビザを利用した大量来日を背景に全国の歓楽街に展開し、特に地方都市で「外国人接客業」の代名詞として定着した。2005 年の興行ビザ厳格化以降は規模を縮小しつつも、地方都市では現在も主要な接客業態として残存している。
業態の構造
店舗はキャバクラの構造をほぼ踏襲する。ボックス席またはテーブル席で女性ホステスが客の隣に座り、酒を作り、会話と踊りで盛り上げる。料金体系も同様で、セット料金 3,000〜5,000 円(60〜90 分)、指名料 1,000〜2,000 円、ボトルキープあり、ノルマありの構造である。最大の差別化要素は「フィリピン人女性であること」と「日本人キャバ嬢にない陽性のテンション」に置かれる。
ホステスの来日経路は、長らく在留資格「興行」が中心だった。フィリピン国内のプロモーター(ジャパゆきさん時代の表現を引き継いでいる)を通じて、3〜6 か月の興行ビザで来日し、契約期間中は店舗指定の寮で生活する。給料は月 15〜30 万円が標準とされるが、プロモーターと店舗双方からの中抜きが大きく、本人の手取りは半分以下になることも多いとされる要出典。
歴史
フィリピン女性の接客業従事の歴史は 1970 年代後半まで遡る。フィリピン国内の経済低迷とフェルディナンド・マルコス政権下の労働輸出政策が背景となり、日本の興行ビザ制度を経由した来日が組織化された。1980 年代の日本のバブル経済が需要を拡大し、興行ビザでの新規来日者は 1990 年前後に年間 8 万人を超えるピークに達した。
1990 年代を通じて、フィリピンパブは東京・大阪の繁華街だけでなく、北関東・東北・北陸・九州の地方都市にも広がった。特に建設業・農業・運送業の労働者の社交場として地方経済に組み込まれ、ホステスとの結婚を通じて在留資格を切り替えるルートも一般化した。1990 年代末から 2000 年代前半にかけて、日比国際結婚は年間 7,000 件規模に達したとされる要出典。
転機は 2004 年、米国国務省「人身取引報告書」が日本の興行ビザを「人身取引の温床」として批判し、日本政府が翌 2005 年に運用見直しを行ったことである。日本語能力試験など実質的な要件が課されたことで、新規入国者は急減し、興行ビザによる来日は数千人レベルにまで縮小した。これ以降、フィリピンパブの店舗数も同期して減少し、業態は地方都市の常連客中心の小規模営業に収束していった。
受容と社会的位置
客側の受容は二面的である。一面は「外国人女性との交流の場」としての異国情緒消費で、英語混じりの会話・タガログ語の挨拶・南国系の音楽が、地方都市の中年男性層に「日常からの脱出」を提供してきた。もう一面はホステスとの個人的関係の発展で、結婚・愛人関係に至るケースが大量に発生した点が、他の外国人風俗業態と異なる特徴である。
フィリピンパブを舞台にした文化作品は数多い。ヤンキー漫画『カメレオン』『湘南爆走族』周辺の地方都市ヤンキー文化との接続、樋口毅宏らの小説、地方紙のノンフィクション連載などで頻繁に取り上げられた。在日フィリピン人コミュニティ(日比国際結婚家族)の社会的存在感は、こうしたパブ業態を経由した結婚移住の蓄積によって形成されたものである。
近年はベトナム系・タイ系・南米系のパブが地方都市で増加しつつあり、フィリピン系の単一支配は終わったが、業態モデル自体はそれらに引き継がれている。要出典
関連項目
最終更新
「フィリピンパブ」の動画作品
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参考文献
- 『国際結婚と移住女性』 ミネルヴァ書房 (2008)
- 『性風俗産業の社会学』 勁草書房 (2017)
- 『在留資格『興行』の運用見直しについて』 法務省入国管理局 (2005)
- 『Trafficking in Persons Report (Japan)』 U.S. Department of State (2004)
別名
- ピーパブ
- フィリパブ
- Philippine pub
- Filipina hostess bar