明治エロ文学とは、明治時代(1868〜1912年)を中心に展開された日本の性的・官能的な文学表現の総称である。江戸時代の春本・読本の伝統を引き継ぎながら、西洋文学の影響・近代的な出版制度の確立・国家による表現規制という三つの力が交差する中で独自の形成を遂げた。
前史:江戸春本から明治へ
明治以前の日本には、「春本(しゅんぽん)」と呼ばれる性的内容を主題とした読物・絵入り本の伝統があった。式亭三馬・为永春水らが著した人情本の一部、および春画に添えられた詞章など、江戸時代の春本は広く流通していた。
明治維新後の「文明開化」政策は、西洋的な公序良俗・道徳観念の移植を推進した。1880年(明治13)の刑法制定に「わいせつ文書頒布罪」が盛り込まれ、性的な内容を持つ文書・出版物の取り締まりが法的に整備された。これにより江戸期の春本文化は公的な空間から駆逐され、地下に潜る形で継続した。
翻訳文学と「猥褻」の流入
文明開化の時代、西洋文学の翻訳普及が同時に「性的・官能的な内容を持つ外国文学」の流入をもたらした。ゾラの自然主義小説・フロベール作品の日本語訳が読まれる一方で、欧米のエロティックな通俗文学・好色本の翻訳・翻案も地下流通した。
西洋から輸入された「性欲学」「変態性欲」「性心理学」などの擬似医学的な用語が、猥褻表現を「学術」として偽装する抜け穴として機能した。「変態心理研究」「性欲解剖」などのタイトルを持つ出版物が、猥褻摘発を回避しながら実質的に性的コンテンツを流通させた。
自然主義文学とセクシュアリティ
明治後期の自然主義文学運動は、人間の性欲・肉体・醜さを含む「真実の人間」の描写を志向した。田山花袋「蒲団」(1907)は主人公の女弟子への性的欲望を赤裸々に描いた作品として、自然主義文学の到達点として語られると同時に猥褻・不道徳との批判も受けた。
永井荷風は明治後期に欧州留学から帰国後、「あめりか物語」「ふらんす物語」などで性的・エロティックな描写を含む作品を発表したが、「ふらんす物語」は発禁処分を受けた。荷風は後に江戸の艶本・芸者文化への傾倒を深め、明治〜大正期のエロ文学の代表的書き手のひとりとなった。
春本の地下流通
法的な取り締まりにもかかわらず、明治期にも性的内容を主とした「秘本」「艶本」が地下で出版・流通し続けた。こうした出版物は奥付に偽の発行地・発行者を記すか無記名で発行され、書肆の奥や古本屋で密かに取引された。
内容は江戸春本の形式を引き継いだものから、西洋的な性描写を取り込んだものまで多様であった。明治末期〜大正初期には「艶文学」「艶本」を扱う通信販売の広告が雑誌に掲載されるケースもあった。
明治エロ文学の遺産
明治期に形成された「猥褻と文学の境界線」「性的表現の規制と流通」という問題は、大正・昭和・現代に至るまで日本の出版・表現文化における根本的なテーマとして継続する。荷風・谷崎の作品群に始まる「文学的エロス」の系譜と、地下流通の春本的な「通俗エロス」の系譜は、日本の性的表現文化の二つの源流として現在まで影響を持ち続けている。
最終更新
別名
- 明治官能文学
- 明治艶本文学
- 明治猥褻文学