撮影現場の控室で長身の男が片膝を立て、こちらを見もせずに台本をめくっている。Tシャツの首元から鎖骨が覗き、細い指がページの端をなぞる。声を掛けると遅れて顔を上げ、わずかに目を細めて笑う。視線が合うまでの数秒、空気の密度が変わったように感じる。イケメン崇拝(いけめんすうはい、英: ikemen worship)とは、整った顔立ちと均整のとれた身体を持つ男性を性的・恋愛的魅力の対象として強く意識し、その造形に視線・物語・消費活動を集中させる嗜好の総称である。
語源と定義
「イケメン」は「いけてる(良い・かっこいい)」と「面(めん、顔)」または「men(男)」の合成語で、1990 年代後半のティーンズ女性誌で散見され、2000 年前後にテレビ・雑誌で広く流通した。『現代用語の基礎知識』2003 年版には新語として採録されている。狭義には顔立ちの整った男性個人を指す日常語だが、サブカルチャー領域では類型化された男性像、ないしそれを愛好する文化全体を指す概念に拡張された。本稿では後者の用法、つまり嗜好類型としてのイケメンを扱う。
BL・腐女子文化、ジャニーズや 2.5 次元舞台のファン層、女性向けゲーム(乙女ゲーム)の隆盛は、イケメンを単なる外見評価ではなく、属性を細分化された欲望対象として体系化してきた。
歴史
戦後日本における「美男」を欲望の対象とする視線は、1960 年代の映画スター(石原裕次郎・勝新太郎らに代表される系譜)に遡る。1970 年代の少女漫画は、池田理代子『ベルサイユのばら』(1972-73)・萩尾望都『トーマの心臓』(1974)などで、女性が女性のために描く美少年像を確立した。1980 年代後半には「やおい」運動が同人誌即売会を通じて展開し、男同士の関係性に欲望を向ける文化が一定の規模で可視化される。
1990 年代後半から 2000 年代にかけて、ジャニーズ事務所のアイドル戦略・木村拓哉のドラマ主演群・キムタクモデルの「イケメン」像がテレビ的な共通記号を作った。同時期、雑誌『JUNON』のスーパーボーイコンテスト、ゲーム『遙かなる時空の中で』(2000-)などの乙女ゲームが、属性化された美男キャラクターを商品として整備した。2010 年代以降は、2.5 次元ミュージカル、男性アイドルグループの多層化、K-POP 男性アイドルの流入により、イケメン崇拝は世代横断・国境横断の現象として継続している。
嗜好の構造
イケメン崇拝は外見評価に留まらない。第一に、対象の身体性そのもの(顔立ち・骨格・声・所作)への美的関心がある。第二に、その人物の生活態度・職業的能力・他者への振る舞いといった「内面が外見に滲み出る」側面が、外見の魅力を強化する物語装置として働く。第三に、複数のイケメンが互いに関係を持つ場面を観察する楽しみがあり、これがBL・同人誌文化の中核を形成してきた。
男性自身が同性のイケメンを評価する視線も近年は珍しくない。「自分が抱かれるならこの男」「同性として尊敬する造形」のような言及が SNS 上で日常化し、ホモソーシャルな美的判断とホモエロティシズムの境界は曖昧になっている。ボーイッシュ・男の娘・美少年などの隣接概念とも、イケメン崇拝は連続的に位置づけられる。
派生形態
- 王子系:長身・色白・整った顔立ちの正統派
- 俺様系:強気・支配的な振る舞いの類型
- 塩顔系:薄味の顔立ちで控えめな印象
- ワイルド系:無精髭・日焼け肌・筋肉質な体格
- 年下イケメン:若さと未熟さを伴う対象
- 年上イケメン:成熟と社会的成功を伴う対象
- スーツイケメン:ビジネス・金融・医師など職業との結合
- ジャニーズ系:アイドル産業が整備した類型
- 韓流系:K-POP・韓ドラ経由のイケメン基準
受容と批評
イケメン崇拝は、長らく女性が自分のための欲望を持つことが社会的に抑制されてきた歴史への、商業文化からの応答という側面を持つ。男性向けエロ表現が大量生産される一方で、女性が自分の欲望のために男性身体を眺める枠組みは、20 世紀後半まで限定的だった。少女漫画・BL・乙女ゲーム・男性アイドルは、その欲望に商品供給で応える形で発展してきたとされる。
一方で、ルッキズム(外見至上主義)の問題提起は近年強まっている。「イケメン」「ブサメン」のような顔立ちでの序列化は、当事者の生きづらさと地続きであるとの指摘も増えており、嗜好を持つこと自体は自由でも、現実の他者を顔立ちで評価する言動には慎重さが求められる、という整理が一般化している。
関連項目
最終更新
「イケメン崇拝」の同人作品(DLsiteランキング)
参考文献
- 『腐女子化する世界』 中央公論新社 (2006)
- 『現代用語の基礎知識』 自由国民社 (2003) — 「イケメン」を新語として収録
- 『ジャニーズと日本』 講談社現代新書 (2016)
- 『BL の教科書』 有斐閣 (2020)
別名
- イケメン
- 美男崇拝
- 男性肉体美
- ikemen worship