風俗で働く女性が労災を申請したい、性病検査を会社の費用で受けたい、税金を払って住宅ローンを組みたい。当たり前の労働者としての権利が、業態が「性労働」だという一点でほぼすべて否定される。日本では売春防止法が前提にある以上、性労働者は労働者として承認されない。けれど現実には数十万人の女性が業界で生計を立てており、その権利保障をどう設計するかが、世界中で論争の的になっている。
性労働者の権利(せいろうどうしゃのけんり、英:sex workers’ rights)とは、性労働(sex work)を一つの職業労働として位置づけ、その従事者に他産業の労働者と同等の法的・社会的保護を保障すべきとする運動および概念の総称である。1970 年代の欧米における運動を起点に、国際労働機関(ILO)・世界保健機関(WHO)・アムネスティ・インターナショナル等での労働者性承認の議論を経て、非犯罪化(decriminalization)と労働法適用を求める潮流として発展してきた。
概念の核
性労働者の権利論の核は、性労働を「犯罪」「被害」のいずれかでしか語らない既存の法制度に対し、第三の選択肢として「労働」として承認すべきだという主張にある。具体的には、業務上のけがに対する労災補償、性感染症検査・予防の自己費負担からの解放、契約上の搾取(プロモーターによる中抜き、寮代の天引き等)に対する労基法的救済、税法上の控除と社会保険適用、業務拒否権(クライアント拒否権)の確立、そして業務に関連した暴力被害を警察に通報できる安全な経路の確保が含まれる。
国際的には四つの法的アプローチが整理されている。完全犯罪化(米国大半・中国等)、買う側のみ犯罪化するノルディックモデル(スウェーデン・フランス等)、許可制で部分合法化する規制モデル(ドイツ・オランダ等)、そして全面非犯罪化(ニュージーランド・ベルギーの一部)である。性労働者の権利運動の主流派は、最後の非犯罪化モデルを支持する。
歴史
国際的な性労働者運動の起点として広く参照されるのは、1975 年フランス・リヨンのサン・ニジエ教会占拠事件である。約 100 人の街娼が警察暴力と摘発の連続に抗議して教会に立てこもったこの事件は、性労働者の自己組織化の象徴となった要出典。1980 年代の HIV/AIDS 危機を経て、性感染症対策における当事者参画の必要性が国際的に承認され、WHO・UNAIDS が性労働者の権利を公衆衛生政策の文脈で位置づけ始める。
2010 年代以降は法的承認の動きが加速した。2015 年、アムネスティ・インターナショナルが「性労働の非犯罪化」を支持する公式方針を採択し、フェミニズム内部に大きな論争を引き起こした。2018 年、Juno Mac と Molly Smith による『Revolting Prostitutes』が刊行され、性労働者運動側からの理論的整理が広く読まれる契機となった。
日本の状況
日本では売春防止法(1956 年)が「性交を伴う売春」を禁止し、その従事者は「処罰されないが要保護更生対象」と位置づけられている。これにより、性労働者は法的に「労働者」として承認されず、労基法・社会保険・労災等の適用が困難な構造が固定化されている。一方でソープランド・ファッションヘルスは法の運用上黙認されており、実態と法のずれが半世紀以上続いている。
日本の性労働者の権利運動の中心団体として、SWASH(Sex Work and Sexual Health)が 2000 年代から活動を続けている。SWASH は当事者と研究者・医療者を含む組織で、HIV 予防・コンドーム配布・労働相談・刊行物の出版を通じて、当事者支援と社会的可視化に取り組んできた。2018 年刊行の『セックスワーク・スタディーズ』は、日本における性労働者の権利論の最初の体系的論集として位置づけられる。
2022 年のAV 新法制定議論では、性労働者の権利の論点が一般メディアでも取り上げられた。AV 出演者の契約問題を「労働者保護」の観点から議論する流れが、性労働全般の権利論にも一定の波及効果を持った。
フェミニズム内部の論争
性労働者の権利論は、フェミニズム内部で激しい論争の対象となっている。一方には「性労働は男性支配の極限的形態であり、廃絶すべきである」とする廃絶主義(abolitionism)系の立場(SWERFs と批判的に呼称される)があり、他方には「当事者の自己決定権と労働者性を承認すべき」とする支援派(SWAW、Sex Worker Advocacy Women)がある。両者は北欧モデル(買う側のみ犯罪化)と非犯罪化モデルでほぼ対立し、議論は現在も継続している。要出典
日本国内ではこの論争はまだ可視化が薄いが、AV 新法・パパ活規制の議論を通じて、当事者の声と政策論の接点が徐々に整備されつつある。
関連項目
最終更新
参考文献
- 『Revolting Prostitutes: The Fight for Sex Workers' Rights』 Verso Books (2018)
- 『セックスワーク・スタディーズ』 日本評論社 (2018)
- 『WHO Guidelines on HIV Prevention with Sex Workers』 World Health Organization (2012) https://www.who.int/publications/i/item/9789241506182
- 『Amnesty International Policy on State Obligations to Respect, Protect, and Fulfil the Human Rights of Sex Workers』 Amnesty International (2016)
別名
- セックスワーカーの権利
- sex workers' rights
- SWASH
- SWERFs vs SWAW