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性別という、身体に強く根を張ったはずの自明性が、ある朝ふいに反転していたとしたら——。フィクションだけが許す思考実験として、性転換ものは独自の系譜を成している。

性転換(せいてんかん)とは、成人向け漫画・エロゲ同人誌等のフィクションにおいて、主人公の身体的性別が物理的に入れ替わる事態を主題とするキャラクター類型・物語類型を指す。英語圏で gender bender と呼ばれる類型に対応し、日本のサブカル領域では TS(Trans Sexual の略)もの、あるいは TSF(Trans Sexual Fiction)などの略称で流通する。本項は専ら虚構類型としての性転換ジャンルの文化史的記述を扱うものであり、医学的な性別適合(sex reassignment)・性同一性に関する事項についてはトランスジェンダーの項を参照されたい。

概要

性転換ものは、身体的性別が物理的・超自然的・SF 的契機により入れ替わる設定を物語装置の核に据える虚構ジャンルである。男性主人公が女性身体に変じる類型(以下「男→女」)が量的中心を占め、女性主人公が男性身体に変じる類型(「女→男」)、両性間を往復する類型などがこれに次ぐ。

物語上の契機は多様であり、魔法・呪術・神仏の介入を要因とする伝奇的設定、薬剤・改造手術・遺伝子操作を要因とする SF 的設定、入れ替わり(body swap)系の超自然的設定、触手・寄生生物による変容を要因とする伝奇 SF 的設定等が並列して存在する。原因の必然性よりも、変容後の身体・自意識・社会関係の揺らぎを描くことに作品の重心が置かれる傾向が強い。

実在のトランスジェンダー当事者および性別適合医療の臨床現実とは厳密に区別される虚構領域の事項であり、当事者を性的対象として消費する構造とは独立して、フィクション類型としての文化史的記述に徹するのが本項の方針である。

語源と略称

「性転換」という日本語は、医学・生物学領域における性別変換の概念を指す既存語彙であり、本来は魚類・甲殻類等で観察される雌雄転換現象(sex change)、および医学領域における性別適合手術(sex reassignment surgery, SRS)を指示する語彙であった。サブカル領域における用法は、こうした既存語彙を借用して虚構ジャンル名として転用したものである 要出典

英語圏由来の略称として、TS(Trans Sexual)、TSF(Trans Sexual Fiction)、TSR(Trans Sexual Reincarnation、転生して性別が変わる類型)、TSM(Trans Sexual Manga 等の派生)などが流通する。とりわけ TSF は 1990 年代以降の英語圏ファン文化(特に米国の SF ファンダム)で先行して用いられた略称であり、日本のサブカル領域はこれを輸入する形で定着させたとされる 要出典

英語圏の文芸・サブカル全般においては gender bender(直訳「性別を曲げるもの」)が広く用いられ、日本由来の TSF はやや専門的な略号として共存する。

歴史と展開

古典・近世における性別転換譚

性別が反転する物語素そのものは、古来世界各地の文学・神話に存在する。古代ギリシアの『変身物語』(オウィディウス、紀元前後)に登場するティレシアスの両性経験、平安期の物語『とりかへばや物語』(12 世紀末頃成立)における男装の姉と女装の弟の入れ替わり、シェイクスピア劇における異性装の喜劇等、性別越境・性別転換のモチーフは古典文学の重要な伝統を成す。とりわけ『とりかへばや物語』は、男女入れ替わりに伴う身体・心理・社会的位置の揺らぎを精緻に描く点で、現代の性転換ものの遠縁の祖型と見なし得る。

戦後漫画・SF における芽生え

戦後日本の漫画・SF 領域では、性別転換を主題とする作品群が散発的に出現する。手塚治虫『ふしぎなメルモ』(1971 年)におけるキャンディによる年齢・性別変容、高橋留美子『らんま 1/2』(1987 年連載開始)における水で性別が入れ替わる主人公等は、子ども向け・一般向け作品における性転換モチーフの代表例として位置づけられる。これらは成人向け作品ではないが、後の TSF ジャンルの想像力に直接的影響を与えた前史と見られる。

英語圏 SF 領域では、アーシュラ・K・ル=グウィン『闇の左手』(The Left Hand of Darkness, 1969 年)等が、性別の流動性を主題化した代表作として知られ、日本の SF ファン層にも翻訳を通じて影響を及ぼした。

同人誌文化における TSF ジャンルの成立

虚構ジャンルとしての性転換もの(TSF)の独立的成立は、1990 年代の同人誌文化における発達に求められる。コミックマーケット等の同人誌即売会で頒布される成人向け作品の中で、性別転換を主題とする作品群が独立した一ジャンルを形成し、専門サークルの集積、専門アンソロジー誌の刊行、TSF 専門のオンラインコミュニティの形成等を経て、2000 年代までに固有のサブカル領域として定着した 要出典

2000 年代以降、商業成人向け漫画・エロゲ・成人向けアニメの領域にも当該ジャンルは拡散し、専門誌・専門レーベル・専門アンソロジーが流通するに至った。代表的な商業作家・作品の登場により、ジャンルの表現様式は多様化・成熟した。

海外への波及

英語圏のオタク文化圏においては、日本由来の TSF 概念は gender bender という既存ジャンル名に重ね合わされる形で受容され、海外作家による独自の展開を見せている。北米・欧州の同人作家・ウェブ小説作家による TSF 作品も多数制作され、日本サブカルとの相互影響関係の中で国際的領域を形成しつつある。

派生形態と細分

TSF・TSR・TSM

略称体系として、TSF(Trans Sexual Fiction、性転換を扱う虚構作品全般)、TSR(Trans Sexual Reincarnation、転生に伴う性別転換、いわゆる「異世界転生 TS」)、TSM(Trans Sexual Manga 等、媒体を限定する派生略号)が並列的に流通する。とりわけ TSR は 2010 年代以降の異世界転生ジャンルの隆盛と並行して、ウェブ小説プラットフォームを中心に独自の発展を遂げた一群を成す 要出典

男→女(MtF)系列

「男性主人公が女性身体に変じる」類型は性転換ものの量的中心を占める。当該系列は、変容後の身体感覚への驚き、女性として遭遇する社会的眼差しへの戸惑い、内的な男性的自意識と外的な女性身体との乖離・統合・崩壊を物語化する点に特徴がある。「精神は男のまま身体だけ変わる」設定が頻出し、変容前後の自意識の連続性を保持することで、読み手の想像的同一化を可能にする物語装置として機能する。

女→男(FtM)系列

「女性主人公が男性身体に変じる」類型は量的には少数であるが、女性向け同人領域・百合的設定等で固有の発達を見せている。男性身体への変容に伴う性的能動性の獲得、社会的特権の享受と違和感、女性的自意識との乖離等を扱う作品群が知られる。

メス堕ち・洗脳的変容との交差

「精神は男のまま」設定の対極として、変容後に女性的自意識への精神的変質を伴う類型(いわゆる「メス堕ち」と接続する系列)も存在する。当該交差領域は、変容と同一性崩壊を結合する物語類型として、TSF の中でも特に分極的議論を呼ぶ系列である。

二次元における魅力構造

性転換ものの虚構的魅力は、複数の心理学・物語論的契機の重畳として理解される。

第一に、同一性連続の揺らぎ。「自分」という意識の連続を保ったまま身体が反転するという設定は、読者に自己同一性の根拠を問い直す思考実験を提供する。「身体が変わっても自分は自分か」「性別とは身体に宿るのか意識に宿るのか」という哲学的問いを、虚構の安全圏内で擬似体験させる装置として機能する。

第二に、禁忌的視線の獲得。男性主人公が女性身体に変じる類型は、男性読者にとって「自分が女性身体を内側から経験する」という、現実には到達不可能な視点の擬似獲得を提供する。これは女性身体に対する欲望の対象化を、所有や支配ではなく内化・同一化として再編成する物語装置と見ることができる。

第三に、社会的位置の反転体験。性別による社会的扱いの差異(視線、声がけ、扱われ方)が変容後に主人公を襲う描写は、ジェンダー社会学的観察を物語化する側面を持つ。とりわけ近年の作品群においては、こうした社会的位置の反転体験が物語の中心的主題として前景化する傾向が見られる。

第四に、変容そのものへの嗜好。身体が変化する過程・瞬間に対するフェティシズム的関心(transformation fetish)は、TSF の周辺領域に固有のサブ・フェチを成す。当該領域は、英語圏の TF(transformation)コミュニティとも通底する国際的サブカル領域を形成している。

現実の医学的性別適合との差異

本項が扱うのはあくまでフィクション設定としての性転換であり、現実の医学領域における性別適合医療(gender-affirming care)・性別適合手術(SRS)・ホルモン療法等の臨床的事項とは厳密に区別される。詳細はトランスジェンダーの項を参照されたい。

虚構の TSF 作品が、瞬時かつ完全な身体反転を物語装置として用いるのに対し、現実の性別適合医療は長期的・段階的・多領域的な医療介入の集合であり、当事者の自己決定・人権・社会的包摂を中核とする臨床現実である。両者を物語的・想像的次元で重ね合わせることは、当事者の現実を捨象する誤読を招く危険があり、表現上の慎重な扱いが要請される。

実在のトランスジェンダー当事者を性的対象として消費的に描くことは、本項が扱うフィクション類型の射程外に置かれる。当該配慮は、サブカル領域における性別越境表象が成熟期を迎えた近年において、ジャンル内部からも繰り返し議論されている事項である 要出典

海外のジェンダーベンダーとの対応

英語圏の gender bender ジャンルは、文学・コミック・ウェブ小説・TG(transgender、ジャンル名としての略号)コミュニティ等にまたがる広範な領域を形成している。北米のウェブ小説プラットフォーム上では TG fiction 専門のコミュニティ、専門ウェブサイト、専門アンソロジー等が長年運営されており、日本の TSF と相互参照的な発展を遂げている。

両者は概ね同根の物語類型を共有しつつ、日本の TSF が漫画・エロゲ同人誌を中心とする視覚文化との結合により発達してきたのに対し、英語圏の gender bender は散文小説・ウェブ小説の比重が大きい点で表現様式の重心が異なる。両者の相互影響は 2000 年代以降のインターネットを介して継続しており、国際的なサブカル領域として成熟しつつある。

関連項目

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参考文献

  1. 永山薫 『エロマンガ・スタディーズ─「快楽装置」としての漫画入門』 イースト・プレス (2006) — 成人向け漫画ジャンル史の代表的文献、性別越境系列の項を含む
  2. 本田透 他 『メディアと性役割の社会学』 勁草書房 (2008) — オタク文化における性別越境表象の論考集
  3. Kimi Rito 『Hentai Manga! A Brief History of Pornographic Comics in Japan』 Fakku (2019) — 成人向け漫画ジャンル史の英語圏文献、TSF 系列を含む
  4. 『コミックマーケット 30's ファイル』 コミケット (2005) — 同人誌即売会の歴史記録、TSF サークルの動向に言及
  5. 『ユリイカ 特集=オタクvsサブカル!』 青土社 (2005) — サブカル誌としての TS 表象論を含む特集号

別名

  • TS
  • transformation
  • gender bender
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