ある朝、男だった主人公が女の身体で目を覚ます。あるいはその逆が起きる。中身は元のままで、肌の質感・骨格・声・性的反応だけが入れ替わっている。物語の登場人物が、その状態で性的経験を再学習していく。TS ものは、性転換という身体的変化を起点に、性の主体・客体の入れ替わりを物語化する成人向けシチュエーションジャンルである。
TS もの(てぃーえすもの、TS、TSF、性転換もの)とは、登場人物の身体性別が物語上の何らかの契機(魔法・薬物・科学・呪い・転生等)で反対の性別へ転換する設定を持つ成人向け作品の総称である。男から女への変身を扱う「女体化」と、女から男への変身を扱う「男体化」の双方を含み、エロ漫画・エロゲ・同人音声・なろう系小説等の各媒体で横断的に発達してきた。本項では成立経緯、嗜好構造、男性向け/女性向けの差、隣接ジャンルとの関係を扱う。
概要
TS ものは、(a) 主人公ないし主要キャラクターが転換前の自意識・記憶を保持したまま、(b) 身体性別だけが反対の性別へと変化し、(c) 当該変化を契機として性的経験・社会的関係・自己同一性が再編されていく物語を扱う。当該構造は、視点人物の性別を移行させることで「異性の身体感覚」を擬似的に体験させる装置として機能する。
成人向け TS ものの嗜好の中核には、(1) 主人公の性別が転換することで生じる戸惑い・抵抗・受容の感情曲線、(2) 転換後の身体での性的経験の再学習(初経験の再演)、(3) 元の自意識と新しい身体の不一致から生じる解離感・異化感の演出、(4) 元の性別の知人・恋人との関係再編、が挙げられる。当該主題群は、視覚メディア(漫画・ゲーム)では転換前後の身体描写の対比によって、聴覚メディア(同人音声)では声質・自意識描写の対比によって表現される。
ジャンルとしては男性向けの女体化(男主人公が女体化する)が中核を成し、男性聴取者・読者が「女性の身体での性的経験」を疑似体験する装置として機能している。女性向けでは男体化(女主人公が男体化する)も存在するが、市場規模は小さい。隣接概念としてふたなり・男の娘・性転換等があり、各々異なる嗜好構造を持つ独立ジャンルとして並列発達している。
語源
「TS」は transsexual(トランスセクシュアル、性転換)の頭文字略号である。ただし当該語のオタク文脈での運用は、医学・社会学的な意味でのトランスセクシュアル(身体的性別違和を持つ当事者の文脈)とは独立した派生用法であり、フィクション上の性別転換装置を指す慣用語として 1990 年代から 2000 年代にかけて成立した。
「TSF」は trans-sexual fiction の略号として、同人・ネット小説文脈で広く運用される語形である。TSF は TS とほぼ同義で用いられるが、特に「フィクションとしての性転換主題」を強調する場合に好まれる。「女体化」「男体化」は身体変化の方向を明示する派生語、「性転換もの」は和訳的呼称である。
英語圏での対応領域は genderbender(gender bender)、genderswap、TG fiction(transgender fiction)等の語形で運用される。日本の TS/TSF と英語圏の genderbender はオタク・フィクション文脈で並行発達したジャンルであり、双方向的な作品流通・ファン交流が継続している。
歴史
前史:性転換主題の文学・映画
性別転換を主題とする物語は、オタク文化以前から世界文学・映画の主題として存在してきた。ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』(1928)、フランツ・カフカ的変身譚の系譜、日本では大林宣彦監督の映画『転校生』(1982)等が、TS 主題の前史的事例として参照される。これらの作品は当時のオタク文脈の外側で成立した文学・映画であるが、後の TS フィクションの発想源として位置づけられる。
漫画・アニメ領域では、高橋留美子『らんま 1/2』(1987–1996)が、水をかぶると女体化する主人公を描く代表作として広く認知された。同作は成人向けではないが、女体化主題のオタク文化への普及に決定的な影響を及ぼした作品として記憶される。
TS/TSF の同人・ネット成立(1990 年代後半–2000 年代)
成人向け TS ものは、1990 年代後半から 2000 年代にかけて、エロ漫画・同人誌・テキスト系個人サイト・ネット小説の各領域で並行発達した。当該時期に「TS」「TSF」「女体化」「男体化」の語が、ファン側の用語として定着した経緯がある。
エロゲ領域では、男主人公が魔法・薬物・呪い等で女体化し、女体化後の身体で性的経験を重ねる作品が継続的に制作された。同人エロ漫画領域では、二次創作・オリジナルの双方で TS 主題が定型として確立し、即売会・コミケで専門サークルが活動するに至った。
なろう系・異世界転生との合流(2010 年代)
2010 年代後半、小説家になろう等の web 小説投稿サイトで「異世界転生 + 性別転換」のパターンが定型ジャンルとして急成長した。男性主人公が異世界に転生する際、女性として転生する設定は、genderbender isekai として日本国内・英語圏ファンの双方で広く受容された。要出典
非成人向けの web 小説で発達した TS 異世界転生は、書籍化・コミカライズ・アニメ化の過程で成人向けスピンオフが並行発達し、TS もの市場の規模拡大を後押しした。
同人ゲーム・同人音声への展開(2015 年以降)
DLsite・FANZA 等の同人配信プラットフォームの成長と並行して、TS ものは同人ゲーム・同人音声領域でも独立カテゴリ化した。RPG ツクール製の TS 同人ゲーム、TS 主題のエロ ASMR・シチュボ、TS 主題のCG 集等が継続的に供給されている。
派生形態と隣接概念
女体化と男体化
TS ものの主流は「女体化」(男から女への転換)であり、男性向け市場の中核を成す。男性主人公が魔法・薬物・呪い等で女性化し、女性化後の身体で性的経験を再学習する物語が定型である。男性聴取者・読者にとっての「女性身体の擬似体験」装置として機能する。
「男体化」(女から男への転換)は女性向け市場で発達した派生領域で、男性向け市場ほどの規模を持たない。女性主人公が男性化することで男性視点の性的経験を擬似体験する構造を持つ。
性別交換(身体入れ替わり)
TS ものの一系統として「身体入れ替わり」(body swap)がある。男女のキャラクターが何らかの契機で互いの身体を入れ替え、それぞれ反対の性別の身体で日常・性的経験を経験する物語形式である。『転校生』(1982)以来の古典的構造を成人向け文脈に応用したサブジャンルとして位置づけられる。
反復的・恒久的転換
TS ものは、(a) 一定条件で反復的に転換する形式(『らんま 1/2』型: 水をかぶると転換、特定条件で復帰)と、(b) 恒久的に転換したまま戻らない形式(異世界転生型: 転生後は新しい身体が固定)に大別される。前者は転換状態の出入りを物語の起伏とし、後者は転換後の身体での新生活の積み重ねを物語の主軸とする。
自意識保持/喪失
TS ものでは通常、転換前の自意識・記憶を保持する設定が前提となるが、一部の派生形態では「徐々に女性としての自意識に染まる」「精神改変によって元の自意識を失う」等の自意識変容を主題化する作品群もある。これらは催眠もの・調教系統の手法を組み込んだ複合ジャンルとして位置づけられる。
ふたなりとの差
ふたなりは両性具有の身体表象を扱う独立ジャンルで、TS ものとは別系統である。TS ものが「片方の性別から反対の性別へ移行する身体的変化」を扱うのに対し、ふたなりは「両性の身体特徴を同時に持つ静的状態」を扱う。両者を組み合わせる作品群(TS の途中過程としての両性化等)も存在するが、概念的には独立した別ジャンルとして整理される。
性転換との差
性転換は身体的性別の変化全般を指す広い概念であり、TS ものはその一部分(物語装置としての性転換)を扱う作品ジャンルである。医学的・社会的文脈での性別違和(性同一性障害)とは独立した、フィクション内部の装置として運用される。
男の娘との差
男の娘は男性身体のままで女性的外見・性自認を持つキャラクター類型を指し、身体性別の変化を伴わない点で TS ものとは別系統である。両者を組み合わせる作品群(男の娘が女体化する等)も存在するが、概念的には独立した別ジャンルとして整理される。
受容と文化的言及
男性聴取者の擬似体験
成人向け TS ものの主たる男性聴取者にとっての魅力は、「女性身体での性的経験」の擬似体験にあると考えられる。視点人物が女体化することで、聴取者・読者は男性自意識を保持したまま女性身体の感覚を仮想体験できる。当該構造は、ジェンダー論的観点からは「異性の主観への想像的アクセス」として論じられうる主題であり、心理学・サブカル研究の研究対象として一定の蓄積を有する。要出典
女性聴取者・読者層の存在
女性聴取者・読者層も TS ものの受容に一定の比重を占めており、特になろう系・web 小説領域の TS 異世界転生では女性読者の比率が高い。男体化作品、男女の身体入れ替わり作品では、女性視点での「男性身体の擬似体験」が主題化される。男性向け女体化と女性向け男体化は並列発達した別ジャンルとして整理される。
学術研究との接続
TS フィクションは、ジェンダー研究・サブカル研究の主題として複数の論文・著作で扱われてきた。斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(2000)等のオタク文化論、永山薫『エロマンガ・スタディーズ』(2006)等の成人向け漫画研究で、性別表象・身体表象の主題が扱われている。性自認・身体表象の問題系として今後さらなる研究展開の余地が大きい領域である。
国際的並行発達
英語圏の genderbender・TG fiction は日本の TS/TSF と並行発達した独立ジャンルである。Fictionmania・DeviantArt 等の英語圏プラットフォームで膨大な作品が蓄積されており、日本の TS ものの英訳作品、英語圏の genderbender の和訳作品の双方向的流通が継続している。要出典
関連項目
最終更新
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参考文献
- 『TSF (ジャンル)』 ニコニコ大百科 — TSF/TS の俗称的成立と用法を扱う
- 『女体化から入れ替わりまで! TS(性転換)マンガ 8 選』 ITmedia eBookUSER (2015) — TS 系漫画の主要作品紹介 https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1507/09/news100.html
- 『Beautiful Fighting Girl』 University of Minnesota Press (2011) — オタク文化における性自認・身体表象の理論
- 『エロマンガ・スタディーズ──「快楽装置」としての漫画入門』 イースト・プレス (2006)
別名
- 男体化もの
- 女体化もの
- TSF もの
- 性転換ジャンル
- genderbender