港から船が出ていく、その所作のなごりに、江戸の絵師は閨房の余韻を重ねた。
出船(でふね)とは、四十八手における退出系の派生体位の一つで、対をなす入船の逆の動作を体位名としたものである。挿入側が、船を港から出していくように、被挿入側から徐々に身体を離しつつ結合を維持する形態を指す。江戸艶本における結合の終わりを枠取る所作として位置づけられた古典的体位名で、刊本によっては「出船後ろ取り」のように後背位系の応用形と複合した表記も見られる。
概要
出船は、結合のあとに挿入側が徐々に身体を離していく一連の所作を体位名として固定した、江戸艶本特有の動詞的命名による体位の一つである。基本となる姿勢は刊本ごとに揺れがあり、対面型の派生として正常位から退出する所作を指す場合と、後背位系で挿入側が腰を後方に引きつつ結合を解く所作を指す場合とがある。後者の用法において「出船後ろ取り」の複合名が記録される。
入船と出船の対は、結合の始まりと終わりを名で枠取る命名意識の現れで、四十八手の体位名体系における動詞的二項対立の代表例である。これは、性交を一連の所作の連続として捉え、各局面に固有名を与えていく近世日本の艶本文化の命名意識を象徴する。
挿入側の腰の所作は、船が港から出ていくゆるやかな引きに喩えられた。江戸期の港湾では、潮の満ち引きに合わせて船が静かに港を離れる景物が日常風景の一部であり、その所作の名残を含む退出の優雅さが、結合を解く所作に重ねられている。
語源
「出船」(でふね、いでふね)は、本来、船が港を出ること、ないし出港する船そのものを指す日常語である。江戸期の海運における日常語彙で、入船と対を成して廻船問屋の帳簿・川柳・俳諧の季語に頻繁に現れる。「出船入船」(でふねいりふね)の四字は、湊町の賑わいを総称する慣用句として一般的だった。
四十八手における出船の名は、結合を解く挿入側の腰の所作を、船が港から出る動作に見立てた命名である。「出る」という動詞の主体は船(=挿入側の身体・男根)、「港」は被挿入側の身体・受容部位、という比喩構造を成し、対をなす入船と完全な対称形を取る。
「いでふね」の古音は和歌・俳諧で多く用いられ、「ゆふづくよ いでふねみゆる…」のような形で景物として詠まれた。江戸艶本における出船の名は、こうした古典的詩語を性愛表象に転用したもので、四十八手命名における詩語の援用の代表例の一つとなっている。
英語圏には対応する体位名はなく、現代の英訳では departing-boat position あるいは defune のような訳語・音写が用いられる場合があるが、江戸艶本の固有文脈に強く依拠する語であるため、厳密な対応訳は成立しない。
歴史
江戸艶本における成立
出船の名は、菱川師宣以降の四十八手系艶本に断続的に現れる体位名で、入船との対構造のなかで配されることが多い。林美一『江戸艶本研究』は、入船・出船の対を「結合の物語性を四十八手の体系に組み込む装置」として読み解いている要出典。
四十八手系艶本の刊本構成において、巻頭近くに入船を配し、巻末近くに出船を配する構成は、一冊の艶本を一夜の交わりに見立てる物語的編集の表れである。入船から出船に至る間に、本手・茶臼・松葉崩し・観音開きなど、各種の応用体位を配することで、艶本一冊が結合の始まりから終わりまでの完結した物語を形作る構成になっていた。
後ろ取りとの複合
出船の用法には、後背位系応用との複合形「出船後ろ取り」が存在する。後ろ取りは江戸艶本における後背位の総称で、挿入側が被挿入側の背後から結合する型の体位群を指す。出船後ろ取りは、後ろ取りの結合を維持しつつ挿入側が徐々に腰を引いていく所作を指し、結合の解除に向かう移行的体位として位置づけられた。
この複合命名は、四十八手の体位名が単独で固定された静的姿勢を指すのではなく、複数の名を組み合わせて動的な所作の連続を表現する文芸的体系であったことを示す。「出船後ろ取り」「入船本手」のような複合名は、近代的な体位分類体系への翻訳を困難にする一方、江戸艶本の文芸的豊かさを示す指標でもある。
出版統制と縁辺化
幕末の出版統制と明治以降の風俗取締りのなかで、四十八手の固有名体位は地下化し、出船もまた古書市場と一部の好事家の領域に縁辺化した。近代の性愛指南書において、出船の名が独立に取り上げられることは稀で、入船・出船の対が紹介される場合も「結合の前後の所作を描く江戸の名」として総括的に言及されるのが通例である。
戦後の春画研究の進展のなかで、白倉敬彦・林美一・永井義男らの仕事を通じ、四十八手の固有名体位群は学術的・文化史的視点から再評価された。出船もこの再評価のなかで、四十八手命名の動詞的二項対立の一例として参照されるに至っている。
形態と所作
基本姿勢
出船の基本姿勢は刊本によって揺れがあるが、対面型の場合、被挿入側は仰臥位を取り、挿入側は両者の脚の間に膝立ちないし腰を据えた姿勢を取る。結合状態から、挿入側が徐々に身体を後方に引いていく所作が出船の核心である。
後背位系の場合、被挿入側は四つん這い・伏臥位を取り、挿入側はその背後で膝立ちし、結合状態から徐々に腰を引いていく。この場合は「出船後ろ取り」と呼ばれる。
退出と運動
出船の運動の核心は、結合の解除に向かう緩慢な腰の引きにある。激しい抜き差しの最終局面ではなく、結合の余韻を保ちつつ徐々に身体を離していく所作が、体位名の本来の意味するところである。
この所作には、性交を一回の結合と射精として点的に捉えるのではなく、結合に至る寄せ動作と結合を解く退出動作とを含む連続的所作として捉える、江戸艶本特有の感性が反映されている。射精後の余韻、結合を解く名残惜しさ、寝具に身を横たえ直す所作までが、性交の所作として一連に把握されている。
派生形
出船の派生として、後背位系応用の出船後ろ取り、立位系応用の立ち出船、被挿入側が主動となる「出船茶臼」(被挿入側が騎乗位から徐々に身体を離す形態)など、複数の変種が艶本に記録されている要出典。これらの派生は刊本ごとに名称・形態の揺れがあり、近代体位分類との対応は困難である。
受容と意味
出船という体位名は、結合の終わりを港湾の景物に擬える命名意識のうちに、近世日本の性表象が時間の連続性を含んでいたことを示す。船が港から出ていく所作という、日常的に観察される景物が、性愛の終わりの所作の名となる。
入船と出船の対は、性交を物語化する装置でもある。一夜の交わりが、ふたりの結合の始まり(入船)から終わり(出船)までを含む完結した物語として把握される。この物語化の感性は、現代の性愛の臨床的・身体技術的把握(挿入・摩擦・射精という三段階の機能的記述)とは異なり、性愛を儀礼的・芸能的所作として捉える近世日本の文化的視座を反映している。
現代の体位分類において出船は独立した体位として扱われることはほぼないが、入船・出船の対は江戸文化の象徴的体位名として、春画研究書・性愛文化史において繰り返し参照される。四十八手命名の動詞的・物語的・詩語的性格を最も端的に示す対として、近世日本の閨房文化の象徴的記号となっている。
関連項目
最終更新
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参考文献
- 『江戸艶本研究』 河出書房新社 (1988-1990)
- 『春画の色恋 江戸のむつごと「四十八手」の世界』 講談社学術文庫 (2018) https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211799
- 『[カラー版] 春画四十八手』 光文社知恵の森文庫 (2018)
- 『四十八手 江戸庶民の性愛文化』 角川ソフィア文庫 (2018)
別名
- 出船後ろ取り
- defune
- defune ushiro-tori