伊勢の二見ヶ浦に立つ夫婦岩。寄り添って海風に耐える二つの巖を、江戸の絵師は閨房の立位に重ねた。
二見ヶ浦(ふたみがうら)とは、四十八手における立位系の派生体位の一つで、男女が向かい合って並び立ち、結合する形態を指す。伊勢国二見ヶ浦の夫婦岩(めおといわ)に見立てた命名で、近世日本の体位名における「名所見立て」の代表例である。立位対面型の立位対面位の応用形として位置づけられ、江戸艶本において祝福性・縁起性を含む特別な体位として描かれた。
概要
二見ヶ浦は、両者がともに足を地につけた立位を取り、対面して結合する体位である。基本となる立位対面位とほぼ同型であるが、二見ヶ浦の名は、両者が並び立つ姿勢を二見ヶ浦の夫婦岩に擬える命名意識のうちに、単なる身体配置を超えた象徴的意味を含意する。
伊勢二見ヶ浦の夫婦岩は、海中に並び立つ二つの巖が注連縄で結ばれた景観で、夫婦和合・縁結びの象徴として古くから信仰の対象となってきた。江戸期には伊勢参詣の途上で立ち寄る景勝地として庶民の間に広く知られ、浮世絵の画題・俳諧の題材として頻繁に取り上げられた。四十八手における二見ヶ浦の名は、こうした聖地・景勝地の意匠を体位名に転用したもので、立位の交わりに夫婦和合の祝福性を重ねる文芸的命名である。
身体運動上は、両者が立った姿勢で結合する立位の難しさを伴う。被挿入側は挿入側に身体を寄せて支えを得、挿入側は両腕で被挿入側の腰や背を支える。両者の身長差・体格差により挿入の角度は大きく変動し、安定した結合のためには相互の支えが不可欠となる。江戸艶本の図譜では、二見ヶ浦は屋外・縁側・廊下などの場面に配されることが多く、寝具を伴う閨房の体位とは異なる「即興的・偶発的」な交わりの画題として用いられた。
語源
「二見ヶ浦」(ふたみがうら)は、伊勢国(現在の三重県伊勢市)に位置する海岸の名で、内宮・外宮の伊勢神宮の参拝に先立つ禊の地として古来知られる。二見ヶ浦の沖合に並び立つ二つの巖は「夫婦岩」と呼ばれ、大小二つの岩(男岩・女岩)が太い注連縄で結ばれる意匠から、夫婦和合・夫婦愛の象徴として信仰を集めてきた。毎年五月から七月にかけて、夫婦岩の間から日の出が見える光景は伊勢参詣の名所として広く知られる。
四十八手における二見ヶ浦の名は、両者が並び立って結合する立位の姿を、海中に並び立つ夫婦岩に擬えた命名である。江戸期の四十八手命名における「名所見立て」の系譜に属し、「松島」「天橋立」「宝船」など他の名所・縁起物に擬える命名群と並んで、近世日本の艶本文化の特徴的な命名意識を示す。
夫婦岩の意匠は、注連縄で結ばれる二つの巖という構造自体が、男女の結合・和合の象徴としての連想を強く喚起する。二見ヶ浦という体位名は、こうした象徴的連想を直接体位の図像に重ねることで、立位の交わりに夫婦和合の祝福を読み込む命名意識の現れとなっている要出典。
伊勢参詣は近世日本において庶民の信仰・観光の中心であり、「お伊勢参り」「お蔭参り」と呼ばれる集団参詣が文化現象として広く展開した。二見ヶ浦の景観は、伊勢参詣の付帯的な見所として浮世絵・俳諧・川柳に頻繁に現れ、江戸庶民にとって馴染み深い景物だった。四十八手の体位名がこうした名所の意匠を取り込むのは、艶本が江戸庶民の文化生活と地続きの媒体であったことの反映である。
歴史
江戸艶本における成立
二見ヶ浦の名は、江戸後期の艶本に断続的に現れる体位名で、立位応用形のひとつとして位置づけられた。林美一『江戸艶本研究』は、二見ヶ浦のような名所見立て体位群が、四十八手の体系化が進んだ江戸後期(18 世紀後半以降)に多く現れることを指摘している要出典。これは、四十八手の基本体位群(本手・茶臼・松葉崩しなど)が確立した後、より文芸的・装飾的な命名による応用体位が増殖した過程の表れである。
江戸艶本における立位の体位は数が多くなく、寝具上の交わりが体位群の主流を占める。立位は屋外・廊下・縁側といった非定型的な場面に配されることが多く、二見ヶ浦の名もそうした「特別な場での交わり」の画題として機能した。歌川国貞・歌川豊国らの艶本に、立位の対面結合と夫婦岩の意匠を重ねる構図が散見される。
婚礼儀礼との接続
二見ヶ浦の名が含意する夫婦岩の意匠は、近世日本の婚礼儀礼における「夫婦和合祈願」の信仰と結びついていた。江戸期には、嫁入り道具に春画を含めて持参する習俗が一部地域に存在し、こうした嫁入り春画(たしなみ絵、嫁入り絵)では、夫婦和合・子孫繁栄を祝福する画題が選好された。二見ヶ浦の体位名は、まさにそうした祝福性を体現する命名であり、婚礼儀礼の文脈で艶本に組み込まれた可能性がある要出典。
四十八手の体位名群には、「宝船」(宝物を満載した船の意)「天橋立」(京都府の名勝で日本三景の一)「松島」(宮城県の名勝で日本三景の一)など、縁起物や名所に擬えた命名が複数存在する。これらの命名群は、艶本が単なる視覚的刺激の媒体ではなく、祝福・縁起・芸事の枠組のなかで流通していたことを示す。
近代以降の縁辺化
明治期以降の出版統制と西洋的性規範の流入のなかで、四十八手の名所見立て体位群は古書市場の蒐集対象として残存しつつ、一般的な性愛指南書の語彙としては縁辺化した。二見ヶ浦の名も、戦後の性愛指南書において独立に取り上げられることは稀で、四十八手系艶本の総覧的紹介において言及される程度に留まっている。
現代において二見ヶ浦の名は、伊勢二見浦の夫婦岩そのものへの観光的・宗教的関心とは別に、春画研究の文脈で「江戸艶本における名所見立ての一例」として参照されることが多い。
形態と所作
基本姿勢
両者ともに足を地につけた立位を取り、対面して結合する。被挿入側は挿入側よりやや低い位置に立つか、あるいは挿入側の両腕に支えられて爪先立ちする姿勢を取る。被挿入側は両腕を挿入側の首・肩に回して身体を支え、挿入側は両腕で被挿入側の腰・背を支える。
両者の脚の配置は、被挿入側が挿入側の片脚を跨ぐ「跨ぎ二見ヶ浦」、被挿入側が片脚を挿入側の腰に巻きつける「巻き二見ヶ浦」など、複数の派生形を取り得る要出典。基本となる対面立位の各種応用がここに含まれる。
結合と運動
結合の運動は、両者の腰の前後動と上下動を組み合わせる。立位は寝具上の体位と異なり、両者の重心の維持が運動の制約となるため、激しい抜き差しは困難で、むしろ緩慢な抜き差しと密着の維持が体位の運動学的特徴を成す。
被挿入側の身長が挿入側に対して低い場合、被挿入側が爪先立ちするか、あるいは挿入側が膝を屈曲させて高さを調整する必要がある。江戸艶本の図譜では、両者の身長差を視覚的に強調することは少なく、夫婦岩の意匠に倣って両者をほぼ同じ高さに描く構図が一般的である。
派生形
二見ヶ浦の派生として、被挿入側が壁・柱に背を預ける「壁二見ヶ浦」、両者が抱き合って完全に密着する「抱き二見ヶ浦」、挿入側が被挿入側を抱え上げる「駅弁二見ヶ浦」など、複数の応用形が艶本に記録されている。これらは立位応用体位の総体として、近世日本の艶本文化における立位表象の幅を示す。
受容と意味
二見ヶ浦という体位名は、立位の交わりに夫婦和合の祝福を重ねる命名意識のうちに、近世日本の性表象が信仰・儀礼と地続きであったことを示す。夫婦岩という聖地の意匠が、性愛の所作の名となり、艶本の画題となる。この意匠の往還は、性を生活と信仰から切り離して特殊な場域に隔離する近代以降の感性とは対照的に、性を生活・信仰・芸能の連続のうちに位置づける近世日本の感性を象徴する。
現代の体位分類において二見ヶ浦は独立した体位として扱われることは少なく、立位対面位の応用ないし派生として理解されるのが通例である。しかし、二見ヶ浦の名そのものは江戸文化の遺産として春画研究書・性愛文化史において繰り返し言及され、四十八手命名における名所見立ての代表例として参照され続けている。
伊勢二見浦の夫婦岩そのものは、現代でも縁結び・夫婦和合の祈願所として観光・参拝の対象であり続けている。江戸艶本の体位名としての二見ヶ浦と、現代の観光地としての二見浦とは、別個の文脈に属する語彙だが、両者をつなぐのは「並び立つ二つの巖」という意匠の象徴性である。
関連項目
最終更新
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参考文献
- 『江戸艶本研究』 河出書房新社 (1988-1990)
- 『春画の色恋 江戸のむつごと「四十八手」の世界』 講談社学術文庫 (2018) https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211799
- 『[カラー版] 春画四十八手』 光文社知恵の森文庫 (2018)
- 『四十八手 江戸庶民の性愛文化』 角川ソフィア文庫 (2018)
別名
- 二見が浦
- 二見ヶ浦縛り
- futami ga ura