牛車を越えるように、男が女の上に身を傾ける。御所車の優雅な意匠から派生したこの名は、結合の角度をひとつ深めるための所作を指す。
越し車(こしぐるま)とは、四十八手における屈曲正常位の派生体位の一つで、挿入側が車を越えるように身体を傾けて結合する形態を指す。御所車の応用形として位置づけられ、被挿入側の腰を持ち上げて挿入角度を深く取る所作を体位名として固定した、江戸艶本特有の動詞的命名による体位である。江戸後期の艶本図譜に断続的に現れる体位名で、屈曲位系統の応用変種を成す。
概要
越し車は、被挿入側が仰臥位を取り、両膝を胸に近づけるように引き寄せた屈曲姿勢から、挿入側が被挿入側の腰を持ち上げ、自らの身体を被挿入側に覆い被せるように傾けて結合する体位である。基本となる御所車から、挿入側の身体の傾きをさらに前方に倒し、被挿入側の腰を支点として身体を「越える」所作を加えた応用形と理解される。
「車を越える」という動詞的命名は、御所車が静的な身体配置を指すのに対し、越し車が動作の連続を含意する点で、四十八手命名における動詞的体位名の系譜に属する。「入船」「出船」「達磨返し」「網引き」など、動作を含む命名群と並んで、江戸艶本における動詞性命名の代表例の一つとなっている。
身体運動上は、被挿入側の腰の挙上により挿入角度が大きく変化し、膣前壁(尿道側)への接触が増す。挿入側は両腕を寝具につき、上半身を倒して被挿入側を覆うため、両者の上体は近接し、視線・呼吸が交わせる距離を保つ。御所車の屈曲位特有の深い挿入と、越し動作による前傾の組み合わせが、結合の角度を深める運動学的特徴を成す。
語源
「越し車」(こしぐるま)の名は、御所車の意匠を踏まえつつ、車を越える動作を体位名に組み込んだ複合的命名である。「越し」は「越える」「乗り越える」「跨ぐ」の意を含む動詞性の語頭で、車を越える所作の含意を体位の動的局面に重ねている。
別解として、「越し」を「腰」(こし)の音通として理解し、「腰を回す車」「腰の動きを車輪に擬える」の意とする読み方もありうる要出典。江戸艶本における体位名の解釈は、刊本ごとに揺れがあり、命名の本来意図と通用上の理解が必ずしも一致しない例が多い。「腰車」の表記が刊本に見られる場合もあり、これは「腰」の音通解釈を支持する用例とも読める。
御所車との関連で言えば、越し車は御所車の応用形・変種として位置づけられ、御所車の意匠を共有しつつ動作の局面を特定する命名となっている。四十八手命名における同系列の派生体位群(本手→入船→出船、御所車→越し車、茶臼→時雨茶臼→茶臼のばし)は、基本体位を起点として動作・派生を含む応用名を増殖させる命名構造を持つ。
「車」(くるま)の語は、近世日本の意匠において車輪・牛車・大八車・荷車・人力車など多様な車両を指し、回転・移動・運搬の連想を含む。性愛体位における車の意匠は、回転動・摩擦・連続動作の比喩として機能し、御所車・越し車・押し車など、複数の車系体位名を生んだ。
歴史
江戸艶本における成立
越し車の名は、江戸後期の艶本に現れる体位名で、御所車の派生として位置づけられる。林美一『江戸艶本研究』は、御所車系の体位群が四十八手の屈曲位応用形として艶本に組み込まれてきたことを指摘している要出典。御所車・越し車・押し車などの車系体位名は、平安貴族の優雅な意匠を性愛の所作に重ねる江戸艶本特有の文芸的命名の系譜を成す。
江戸期の艶本における体位名の運用には刊本ごとに揺れがあり、越し車を御所車の別名として扱う刊本もあれば、独立した派生体位として記載する刊本もある。「腰車」の表記が混在する例もあり、命名の音通的解釈と意味解釈とが並存していたことを示す。
御所車・押し車との関係
御所車系の体位群は、屈曲正常位を基本としつつ、所作の局面を異にする複数の派生を持つ。御所車が両者の身体配置と挿入角度に焦点を置く名であるのに対し、越し車は挿入側の身体の傾きと前進動作に焦点を置く。押し車はさらに、被挿入側の腰を押し進める所作に焦点を置く。
これら三体位の関係は、近代的な体位分類における主従関係としてではなく、屈曲位応用群の各局面を異なる動詞・名詞で枠取る並列的命名群として理解されるべきである。江戸艶本の命名意識は、一つの基本体位から各局面・各動作を切り出して固有名を与える「局面切り出し型」の体系であり、近代医学の「機能分類型」体位論とは性格を異にする。
近代以降の縁辺化
明治期以降の出版統制と西洋的性規範の流入のなかで、御所車系の体位群は古書市場と一部の好事家の領域に縁辺化した。近代の性愛指南書において、越し車の名が独立に取り上げられることは稀で、四十八手系艶本の総覧的紹介において御所車・越し車・押し車を一括して「車系応用体位」と総称する整理が一般的となった。
戦後の春画研究の進展のなかで、越し車は屈曲位応用体位の一例として再評価され、白倉敬彦・林美一・永井義男らの仕事を通じ、四十八手命名における車系体位群の文芸的・装飾的性格が学術的視座から論じられるに至っている。
形態と所作
基本姿勢
被挿入側は仰臥位を取り、両膝を胸に近づけるように引き寄せた屈曲姿勢を取る。被挿入側の腰は寝具からやや浮き、挿入側の支えを要する角度に設定される。挿入側は被挿入側の脚の間に膝立ちで位置し、両腕で被挿入側の腰・大腿を支えつつ、上半身を被挿入側に覆い被せるように傾ける。
挿入側の身体の傾きは、御所車の前傾よりさらに大きく、両腕を寝具につく形で「車を越える」動作を体現する。被挿入側の身体は、挿入側の身体の下に半ば収まるような姿勢となり、両者の重心が被挿入側の腰の上に集中する。
結合と運動
結合の運動は、挿入側の腰の前後動と上下動を組み合わせる。屈曲位特有の深い挿入と、越し動作による前傾の組み合わせが、膣前壁への接触頻度を高める。挿入側の上体の傾きにより、被挿入側の陰核への恥骨接触は限定的となるため、陰核刺激を求める用途には向かない一方、深い挿入と被挿入側の腰の挙上を組み合わせる結合角度の調整に適する。
被挿入側の身体には、自らの大腿を胸に押し付ける形となり、内転筋・腹筋への伸張負荷が大きい。長時間の維持は柔軟性に依存し、現実の閨房においては短時間の応用形として用いられることが想定される。
派生形
越し車の派生として、被挿入側の両脚を挿入側の肩に担ぐ「担ぎ越し車」、両者が抱き合って密着する「抱き越し車」、挿入側が被挿入側の腰をさらに高く持ち上げる「高越し車」など、複数の応用形が艶本に記録されている要出典。これらは屈曲位応用体位の総体として、近世日本の艶本文化における屈曲位表象の幅を示す。
受容と意味
越し車という体位名は、御所車の優雅な意匠を踏まえつつ、動作の局面を切り出して新たな固有名を与える江戸艶本の命名意識の典型例である。平安貴族の牛車という古典的意匠が、江戸庶民の艶本において性愛の体位名として転用され、さらにその応用形として「車を越える」動作の名が増殖する。この命名の連鎖は、艶本が単なる体位カタログの集積ではなく、文芸的・絵画的・装飾的な多層の意味体系として展開していたことを示す。
現代の体位分類において越し車は独立した体位として扱われることはほぼなく、屈曲正常位の応用ないし派生として理解されるのが通例である。しかし、越し車の名そのものは江戸文化の遺産として春画研究書・性愛文化史において言及され、御所車・押し車との対比のなかで、四十八手命名における動詞性・装飾性の代表例として参照され続けている。
御所車系の体位群が、平安貴族の意匠を江戸庶民の艶本に取り込むという文化的往還を体現することは、近世日本の性表象が古典文化との連続性を意識的に維持していたことを示す。性愛の所作の名に貴族の乗り物の名を付すこの命名意識は、性を低俗な娯楽から芸能的・装飾的な遊芸へと格上げする戦略の現れであり、四十八手の文化的位置づけを示す象徴的な命名と言える。
関連項目
最終更新
「越し車」の同人作品(DLsiteランキング)
参考文献
- 『江戸艶本研究』 河出書房新社 (1988-1990)
- 『春画の色恋 江戸のむつごと「四十八手」の世界』 講談社学術文庫 (2018) https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211799
- 『[カラー版] 春画四十八手』 光文社知恵の森文庫 (2018)
- 『四十八手 江戸庶民の性愛文化』 角川ソフィア文庫 (2018)
別名
- 腰車
- 越車
- koshikuruma