ヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれたポンペイの街を 18 世紀の発掘者たちが掘り起こしたとき、街路に面した小さな建物の壁から鮮やかな性交体位図が次々に現れた。そこは「ルパナル」と呼ばれる売春宿であり、客は壁画のメニューを指差して相手と体位を選んだ。古代ローマ社会において、性は隠すべき私事ではなく、市民生活の動線に組み込まれた公的・経済的活動だった。
古代ローマの性文化(こだいろーまのせいぶんか、Sexuality in ancient Rome)とは、ローマ建国伝承の紀元前 753 年から西ローマ帝国滅亡の紀元後 476 年に至る千年余の間、地中海世界に展開したローマ社会の性をめぐる慣行・制度・規範の総体である。本項では公娼制度、奴隷制と性、男色文化、婚姻法、姦通取締法を扱う。
公娼制度とルパナル
ローマの公娼制度は、共和政中期(紀元前 3 世紀頃)には既に整備されていた。娼婦は造営官(aediles)の登録簿に名前を記載し、登録娼婦(meretrices)として課税対象となった。一度登録された者は事実上生涯にわたり身分を解除されず、市民権の制限を受けた。
売春宿は lupanar(ルパナル、雌狼の意)と呼ばれ、街路に面した小区画の建物に複数の小室(cellae)を構える形式が標準だった。ポンペイには確認されているだけで 25 軒前後のルパナルが存在し、人口 1 万人前後の都市規模に対する密度の高さを示している。各小室の入り口上部や壁面には性交体位を描いた小型壁画が掲げられ、料金は 2 アス(パン 1 斤と同程度)から十数アスまで幅があった。
街路の売春婦(scortum)、神殿付き娼婦、宴席の遊女、さらには墓地・浴場・劇場周辺の野外売春など、複数の階層が並存した。最下層の街娼は「アーチ女」(fornicaria、橋脚アーチの下に立ったことから fornication の語源)と呼ばれた。
奴隷制と性
古代ローマの性文化を理解する際、奴隷制の存在を抜きには語れない。ローマ市民は所有奴隷の身体に対し性的処分権を持ち、奴隷を性的に使役することは合法かつ社会的に容認された行為だった。男性主人と男性奴隷、女性主人と男性奴隷、夫婦が共有する奴隷との関係など、複数の組み合わせが史料に登場する。
ただし倫理的・社会的な序列があった。市民男性が能動的役割を取り、奴隷や下層民が受動的役割に置かれる構造は望ましいとされ、その逆は嘲笑の対象となった。市民男性が他の市民男性に受動的役割を取らせることは、相手の市民権・名誉を毀損する行為として処罰の対象になりえた。
奴隷出身の女性が解放奴隷(liberta)となった後、元主人の愛人や妻となる事例も多い。詩人ホラティウスの愛人や、皇帝クラウディウスの愛妾など、史料に名を残す女性の少なくない部分が奴隷出身者である。
男色と「能動/受動」の倫理
古代ローマにおける男色は、現代の同性愛概念とは異なる枠組で運用された。重要だったのは性別ではなく「能動か受動か」の役割であり、市民男性が能動側にとどまる限り、相手の性別はさして問題視されなかった。
詩人カトゥルスの恋愛詩、皇帝ハドリアヌスとアンティノウスの関係、ペトロニウス『サテュリコン』の少年愛描写など、男色を主題とする文学作品は枚挙にいとまがない要出典。一方で、市民男性が成人男性に受動的役割を取ることは「軟弱」(mollitia)として軽蔑され、紀元前 2 世紀の Lex Scantinia はこうした行為を処罰対象とした。
婚姻と姦通取締法
紀元前 18 年、初代皇帝アウグストゥスは Lex Julia de adulteriis coercendis(姦通取締りに関するユリウス法)を制定し、既婚女性の姦通を国家が刑事訴追する制度を整えた。有罪となった女性は財産の半分を没収され、島流しに処された。男性側も処罰対象となったが、独身女性や登録娼婦との関係は対象外とされ、市民男性の性的特権が温存される構造を持っていた。
同時期に制定された Lex Julia de maritandis ordinibus(婚姻に関するユリウス法)は、市民男性に結婚と子女養育を奨励し、独身者・無子者に税制上の不利益を課した。これら一連の婚姻立法は、共和政末期の道徳的退廃を是正するアウグストゥスの政治改革の核となった。
キリスト教の浸透と性規範の転換
紀元 4 世紀、コンスタンティヌス帝のキリスト教公認(313 年)以降、ローマの性文化は劇的に変容した。教父アウグスティヌス『神の国』(426 年完成)は、性欲を原罪と結びつけ、生殖目的以外の性行為を罪と位置づける神学を体系化した。これ以降、ヨーロッパ社会は中世千年にわたるキリスト教的性規範のもとに置かれることになる。
ヨーロッパの性文化史の中世以降の展開は、この古代ローマからキリスト教への転換を起点として理解される。ポンペイの壁画が示す陽気な公然の性は、長く忘却の彼方に追いやられ、18 世紀の発掘までヨーロッパ人の意識に上ることはなかった。
関連項目
最終更新
参考文献
- 『Roman Sexualities』 Princeton University Press (1997)
- 『The Invention of Sodomy in Christian Theology』 University of Chicago Press (1997)
- 『Sexual Morality in Ancient Rome』 Cambridge University Press (1993)
- 『ローマ人の物語』 新潮社 (1992-2006)
- 『古代ローマの女性たち』 山川出版社 (2010)
別名
- 古代ローマ性文化
- ローマ帝国の性
- Sexuality in ancient Rome
- Roman sexuality