明朝末期、17 世紀の蘇州。彩色の美しい春宮図が小型本に収められ、富裕商人の手元に届けられる。同じ頃、朝鮮王朝のソウル(漢城)では、両班(ヤンバン)階級の男性が「妓生」(キーセン)と詩を交わし、その光景が後代の風俗画に描かれる。そして同時期の江戸では春画の出版が始まり、葛飾北斎・喜多川歌麿らへと連なる華やかな伝統の幕が開く。三つの社会が儒教的家父長制を共通の枠組としつつ、それぞれ異なる性文化の表現を生み出していた。中国・朝鮮・日本の性文化史は、共通基盤と差異の双方を含む比較文化史の格好の素材である。
東アジアの性文化史(ひがしあじあのせいぶんかし、East Asian sexual history)とは、中国・朝鮮半島・日本の三つの社会における性をめぐる規範・制度・実践の歴史的展開を、相互に比較する視点を指す。本項では儒教的家父長制という共通基盤、中国の性愛文献伝統、朝鮮の妓生制度、日本の性文化の独自性、近代化期の比較を扱う。
儒教的家父長制という共通基盤
東アジア三国に共通する性文化の最大公約数は、儒教(儒学)を国家統治・社会倫理の基本原理として採用した点に由来する家父長制秩序である。父系を縦軸とする家・宗族の継承、長男相続、男性中心の社会的役割配分、女性の貞節・三従の徳の強調は、三国に通底する規範構造を成した。
ただし儒教の浸透度は社会ごとに異なる。朝鮮王朝(1392-1910)は儒教を国教として徹底的に運用し、性別役割の固定化が最も厳格だった。明朝・清朝の中国は儒教を統治原理としつつも、地域・階層による多様性が大きく、伝統的医学思想(陰陽論)や道教的性愛観も並存した。日本は儒教を倫理思想の一部として受容したものの、神道・仏教との習合のもとで運用し、儒教的厳格主義が朝鮮・中国ほど社会全体を支配することはなかった。
この浸透度の差が、各社会の性文化の表現の差として現れた。朝鮮では公的領域での性表現が強く抑制され、中国では大衆出版物としての春宮図・性愛小説が栄え、日本では春画・遊廓文化が公然たる商業領域として成立した。
中国の性愛文献伝統
中国は東アジアの性愛文献の本流を成す伝統を持つ。古代の『素女経』『玄女経』『洞玄子』(いずれも 6-7 世紀以前に成立、後世に再編)など「房中書」と総称される性技書群は、陰陽論・道教の身体観・医学的養生論を統合した独自の性愛理論を展開した。男女の性的合一を「気」の交換と位置づけ、節度ある性交による長寿・養生を説く陰陽論的性愛観は、後のインド『カーマ・スートラ』とは別系統の体系を成した。
唐代の伝奇小説、宋元期の話本、明清期の白話小説には性的場面を含む作品が多数存在する。明代後期の『金瓶梅』(16 世紀末)、清代の『肉蒲団』(17 世紀)などは、性表現を中核に据えた長編小説として中国文学史に位置を占める。明清期の春宮図(春画の中国版、書籍版・絹本軸装版・冊子本版など多様な形式)は、出版・愛玩・贈答品として広く流通した。
清朝期の同治・光緒朝(19 世紀後半)の上海・南京・蘇州など江南の都市では、青楼・茶館を中核とする「楽戸」と呼ばれる遊女宿が栄えた。妓女のうち「校書」と称される高級妓女は詩詞・書画・音楽の素養を備え、文人と対等に交流する文化的存在として、上層社会の風流文化の一翼を担った。
朝鮮の妓生制度
朝鮮王朝の性文化を特徴づけるのは「妓生」(キーセン、기생)制度である。妓生は本来、王朝の宴・外交儀礼に侍る官設の女性芸能者で、歌舞音曲・詩詞・書画を高度に習得した教養層だった。両班(ヤンバン)階級の男性のみが正式に交流できる立場で、性的接触は公的には禁忌とされたが、実態としてはしばしば性的関係が成立した。
15 世紀以降、妓生は中央の「教坊」と地方の「妓籍」に登録され、官の管理下で運用された。「楽工房」「醫女」「茶母」などの専門職と並んで、王朝の文化機構の一翼を成した。両班階級の男性が妻に求めた「貞節」と妓生に求めた「風流」の二重構造は、朝鮮王朝の性規範の典型を示す。
朝鮮王朝の正室・妾の階層構造は、中国・日本のそれよりも厳格だった。両班の正室は「夫人」、妾は「副室」と呼ばれ、その間に明確な格差があり、妾の子(庶子)は科挙応試・官途進出が制限されるなど、社会的差別が制度化された。19 世紀末の開国・近代化、20 世紀の植民地期を経てこの構造は段階的に解体された。
日本の性文化の独自性
日本の性文化は、東アジア三国の中で最も儒教的厳格主義から離れた展開を見せた。平安期の通い婚を基礎とする多妻制、神道の生命礼讃、仏教の稚児文化、近世の公娼制度・春画・衆道文化など、性的な領域を公然と商業化・文化化する伝統が発達した。
中国・朝鮮の儒学者からは、日本の性風俗は「夷狄の風」「礼楽不備」と批判される対象であり続けた。江戸期の朱子学者・儒者の中には日本の風俗を儒教的規範で再編しようと試みた者もいたが、商業発達の波に飲まれ、儒教的厳格主義が社会全体を支配することはなかった。
逆に、中国・朝鮮から見ると珍奇に映る日本の性文化(春画の出版量、遊廓の制度的整備、衆道の公然性)は、明清期の中国知識人・李氏朝鮮の通信使らの記録に好奇とともに記述される対象だった。新井白石『折たく柴の記』、朝鮮通信使の各種日記類などには、日本の性風俗への外部観察者の言及が散見される。
近代化期の比較
19 世紀後半から 20 世紀前半にかけての近代化期、三国はそれぞれ西洋近代法を導入する形で性をめぐる法制度を再編した。日本は明治期に公娼制度を再整備し、中国は中華民国期(1912-1949)に伝統的性風俗の改革を断続的に試み、朝鮮は植民地期(1910-1945)に日本式の公娼制度が導入された。
第二次大戦後、日本は売春防止法(1956)で公娼制度を廃止し、中国本土は中華人民共和国成立(1949)後に妓女の強制更生で公娼制度を急速に解体した。台湾は 1956 年の「妓女救濟條例」、韓国は 1961 年の「特殊地域設定法」を経て段階的廃止へ向かった。三国の戦後性政策の差異は、各社会の戦後体制(社会主義・自由主義・植民地解放)と密接に結びつく。
関連項目
最終更新
参考文献
- 『中国古代の性愛』 せりか書房 (1988)
- 『中国春宮図 性と愛の千年史』 東方書店 (1996)
- 『Korean Sexuality』 Routledge (2017)
- 『東アジアの儒教と礼』 山川出版社 (2004)
別名
- 東アジア性文化史
- 中国韓国日本の性
- East Asian sexuality
- Sexuality in East Asia